2020/09/04 コラム

伝説のレーシングドライバー浮谷東次郎も手を焼いた「トライアンフTR4」【東京オリンピック1964年特集Vol.21】

前回東京オリンピック開催年、1964年を振り返る連載21回目は、driver1964年8月号に掲載した「トライアンフTR4」について。当時そのステアリングを握ったのは、伝説のレーシングドライバー、浮谷東次郎だ。

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スポーツカーの楽しさを伝えたトライアンフ


1964(昭和39)年のdriver誌8月号では、前回のパブリカ コンバーティブル(連載第20回)とともに、もう一台のオープンカーを採り上げている。イギリスの伝統的スポーツカー、トライアンフTR4だ。



エンスー度が高くない筆者は、車名とクルマはとりあえず一致するものの、トライアンフの歴史については寡聞にて知らない。調べてみると、現存する2輪ブランドとは1930年代に分離。4輪ブランドは終戦のころ、同じくイギリスの自動車メーカーだったスタンダードの傘下に入った。試乗記のトビラを飾るエンブレムは、なるほど「STANDARD TRIUMPH」である。


●TRは「TRIUMPH ROADSTER」の頭文字

ただ、同社も1960(昭和35)年にはレイランドに買収され、この時はすでにその傘下だ。イギリス自動車産業の凋落は、すでに始まっていた。
「スタンダード・トライアンフ社のTRシリーズは、10年前の54年のTR2から始まる。(中略)こうしてトライアンフTR2/3は、延々7年間も続くことになる。そして、突然その静粛を破って、TR4が61年に現れる」(文中より、以下同)


●左からスピットファイヤー1500(74年製)、TR4A(66年)、TR4A(65年)、TR3A(60年)、TR3(57年)。driver1974年6-5号より

試乗レポートは浮谷東次郎。浮谷は「精鋭ロータスに乗る」(連載第7回)でロータスを愛車とするレース仲間の協力を仰いでいるが、今回のTR4も同じく癸生川 忠成(けぶかわただしげ)氏のオーナーカーだ。



車両価格はベースモデルの2Lでも168万円。この個体はマカオGP出場を目指し、さらに本国で100万円以上もの改造が施されたという。当時販売中の車種で言えば、クラウンエイト(連載第12回)の車両価格に、クラウン デラックスやセドリック カスタムが1台買える改造費が注ぎ込まれたことになる。当時、日本GP(連載第10回)に出場したようなレーサーや輸入車のオーナーは、やっぱりほとんどの皆さんが相当なおカネ持ち。



浮谷がTR4の出現を「突然その静粛を破って」と言ったのは、そのデザインがジョバンニ・ミケロッティの作に一新されたからだ。ミケロッティはこの時代に一連のトライアンフのデザインを担当。ブリティッシュ・ライトウエイトスポーツで名高いスピットファイアも、その一台だ。また、プリンスの初代スカイライン スポーツ(1962)や日野コンテッサ1300(1964)を手がけたことでも知られる。

当時でもすでに古典的スポーツカーだったTR4


TR4は今から見れば古典中の古典。しかも、レポートには半世紀以上前の当時で「今日ではすでに古典的スポーツカーの粗野なライドを示す」、と評されている。これは乗り心地について。戦前に基本設計されたハシゴ型フレームやシャシーは、TR3からほとんど変わっていなかったのだ。

ハンドルは軽くクイックで、「スポーツカーとしての高度の水準からみても、TR4のステアリングは一流」。しかし、箱根旧道の下りでは強いアンダーステアを露呈した。パワースライドを使うとオーバーステアへ急激に変化するため、なかなか扱いにくい。

「TR4は、やはりアンダーステアのハンドリングの範囲内におさえて走るべきスポーツカーなのだろう」

そして、試乗車はノーマルのサスではないという前提で、ハンドリングは「一応満足できるものがあった」という評価。TR4の運動性能を公道で存分に引き出すには、伝説のレーシングドライバーも手を焼いたようだ。

浮谷が感じたアンダーステアには、パワートレーンにも一因がある。



試乗車のエンジンは2.2Lで、ノーマルでも100馬力・17.5kgmを発揮。そこへヘッドを中心に本格的チューンアップが施され、パワーは135ps/6580rpmに達している。一方、オープンボディは全長が4mを切り、車重も1トンに満たない軽さ。このボディのサイズ感やパワーウエイトレシオは、現行のマツダ ロードスターSにとても近い。加速性能は当時でかなりのものだったに違いない。


●「外誌のロードテストによると、このスペシャル・チューンのTR4は、0~96㎞/hまで8.6秒、0~160㎞/hまで22.8秒の加速を持つ」(文中より)。マツダ ロードスターSの本誌テストデータは0~100㎞/hが8.61秒で、実際の加速性能も互角なのだ

「スピードメーターをのぞくと、自分で予想していたスピードより1~2割も速いスピードが出ているのに気づく」

しかも、ボディの全幅は現在の軽自動車並みに狭く、タイヤグリップももちろん低い。アンダー・オーバーのハンドリング特性もむべなるかな、なのである。




試乗記でもう一つ興味深いのは、フルシンクロの4速MTにオプションで付けられたというオーバードライブ。なんと電気式で、2~4速で作動するという。つまり、2速でスイッチを操作するとギヤ比は2-3速の中間、3速なら3-4速の中間、4速ならいわば5速代わりという具合だ。

この年代のクルマに、こんな副変速機的メカがあったとは! どういう機構かわからないが、個人的にはホンダの初代シティに85(昭和60)年投入された「ハイパーシフト」(1985年)が頭に浮かんだ。ご存じの方がいたらご教授願いたい。

スタンダード・トライアンフを買収したレイランドは、68(昭和43)年にブリティッシュ・モーター・ホールディングス(BMH)と合併し、国有企業のブリティッシュ・レイランド(BL)が発足。イギリスで主要な10ブランドが一傘下に収まり、トライアンフもその一つになった。それでもイギリスの自動車産業界は低迷の一途をたどり続けた。
79(昭和54)年、BLはホンダと技術提携。初代バラードの現地生産版として、トライアンフ アクレイムが誕生する。それが同ブランド最後の乗用車となった。

●写真は初代バラード 1300 FG

〈文=戸田治宏〉

※該当記事は、下記参照


ドライバーWeb編集部

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