2020/01/29 コラム

「初代の成功で、僕は会社を辞めるつもりだった」鈴木修会長が語ったジムニーの起源


【解説】ON型を生んだホープ自動車とは



軽四輪駆動のパイオニア、ホープスターON型。三菱製空冷2サイクル2気筒21馬力エンジンとLo-Hi2段切り替え式のトランスファーに4速MTを組み合わせ、軽自動車ながらジープと同じ16インチという大径タイヤを装着。まさにキャッチコピーどおりの「不整地用万能車」であった。


●ホープスターON型を、多摩川堤防で登坂テスト。ただ、管理官庁から大目玉を食らったのことだ

鈴木 修会長インタビューにも出てくるが、その後エンジンの安定供給に苦労し、量産を断念。スズキにすべてを移管してジムニーとして生まれ変わったのである。

ON型の時代に富士登山を敢行し、性能も折り紙つきであった。それ以上に今の時代ならこういうコマーシャル的発想もあるのだろうが、約50年前にこういうド派手なパフォーマンスを思いつくホープ自動車の小野定良氏という人となりに興味が湧く。


●こちらも多摩川でのテスト。運転席の床上まで浸水しても力強く走り続けたという

というのも、ON型で究極のアイデアを具現化する以前にも、軽規格の3輪車ブームを作り出しているからだ。自社で作る部品と他社製品の流用で信頼性と開発スピードを上げるという柔軟な考えのともに軽オート3輪市場を開拓。また凝りに凝ったダブルピストンエンジンを生み出している。

MP型ダブルピストン

当時のライバル、ダイハツ ミゼットが12馬力、マツダK360が11馬力という時代に15馬力を発生! ライバルよりも25%も高出力だ。といっても10数馬力で比較してもわかりづらい。300馬力に例えると420馬力も出ている計算になる。圧倒的である!

ホープスターSM型

オイラはこのエンジンが搭載されたSM型という軽3輪車に試乗したことがある。確かにトルクフルで乗りやすいと感じた。またフルシンクロの3速ミッションというのも当時としては驚異的だったようだ。当時のホープスターの軽3輪車は丈夫だったらしい。他社がオートバイの延長線で作っていたのに対して小野氏は3輪のクルマという視点で作っていたのだから、その出来栄えの差ははっきりしている。

当時、ダイハツ ミゼットを超える完成度の軽3輪車が完成していた事実、4WDのON型を出したあと、タラレバではあるが、その後の量産車に搭載予定の提携先からのエンジンが不良品でなければ…。なんだかホンダのようなユニークな自動車メーカーが日本にもう一つ存在したのではないか、と想像してしまうのである。

【あとがき】2人の出会いが奇跡を生んだ

このインタビューはもうしばらく前に行った。オイラが360cc軽自動車の本を出し、たまたま会長が目を通してくれたことで、ジムニー創世記の話をうかがいに浜松に出かけたのだった。いい掲載機会がないままここまで来てしまったが、新型ジムニーの門出に際し、まさにこのときのために温めていたような気さえする。


●インタビュー後の鈴木 修会長と、筆者の三好秀昌氏

”人見知り”の鈴木 修会長は気遣いの方で、興に入ると持ち前のサービス精神からか、とてもここでは書けないです、という話までおもしろおかしく話してくださった。

小野定良さんはアイデアマンと言われたが、360ccの軽4WDに商機と勝機を見出したところなどは、アイデアマン2人が出会った奇跡がジムニーを生み出したとオイラは考えるのである。

〈文と写真=三好秀昌〉

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