2020/01/29 コラム

「初代の成功で、僕は会社を辞めるつもりだった」鈴木修会長が語ったジムニーの起源

まわりには理解されなかったプロジェクト


会長:そして販売だけでなく、いろいろと苦労されていた。

三好:と、いいますと?

会長:ON型は他社さんからエンジンを買ってきて載っけて売っていた。なんでもフロントボンネットをもっと下げたいのだけれど、エアクリーナーが上にあったからそれができないんだという。エンジンのレイアウトを変えるには社内で大勢から承認のハンコをもらわなければならなかったそうだ。



●エンジンは21馬力を発揮する空冷2サイクル2気筒の三菱ミニカ用を搭載

三好:それは大変ですね。

会長:ホープ自動車も、待っていられるほど体力もなかったんだよな。

三好:時間も余裕もないわけですね。


会長:そんなのなら私んとこでやれば? こんなことじゃ小野さん、潰れちゃうよと声をかけた。それで当時の鈴木俊三社長に、おもしろいクルマがあるから設計図を買い取りたいと言ってオッケーしてもらった。

三好:そんな経緯があったんですね。

会長:ホープ自動車は当時、横浜に会社があったもんだから、そこを訪ねていって、「小野さん、これを僕んとこに売らねーか」と。特許は何もないというから、その一切を買い取ったわけだ。

三好:苦労はなかったんですか?

会長:設計者を呼んで、早速作る計画をしたんだが、うちの連中、「これは1年で150台ぐらいしか売れない」と言う。技術屋さんというのは、下の者が作ったのはけなすからね。これはいわゆるジープみたいなもので、ボディを見たら鈑金モノのアールがない。みんな角型。そしてドアの取り付けでもなんでも外からボルト。ミリタリールックというやつです。

三好:今のクルマ作りとはまったく違いますね。

会長:あとでわかったことは、鉄板を持ってきてポンポンとたたくとこうなる。アールプレスの型じゃできないわけだ。ジープはもともと戦争に使うから、加工を考えていなかった。プレスの型をつくったら、コストが高くなる。だから、ON型と同じくミリタリールックのままいけばいい。こういう作り方ならコストもかからない。1年に300台売れれば御の字、元は取れる。でもね、俺は1カ月に300台売れる!と思った。

三好:まわりはそう思わなかった?

会長:そりゃもう。でも、なんとか会社を言いくるめてとにかく作った。

三好:ON型から、いよいよジムニーになるんですね。

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