2020/01/29 コラム

「初代の成功で、僕は会社を辞めるつもりだった」鈴木修会長が語ったジムニーの起源

初代の成功で「会社を辞めようと思った」



会長:それはすごいアイデアマンだった。成功したらすばらしかっただろうね。

三好:もし歯車が噛み合っていたら、ホープ自動車はホンダみたいな会社に?

会長:僕もそう思う。商魂も、技術もすごかった。けれども、3輪トラックもヨソにやられちゃった。金があれば量産してどこにも負けない自信はあった、とおっしゃっていた。そして今回は、修さんにやられちゃったと(笑)。

三好:やはり会長はスズキ車のなかでもジムニーには思い入れが強いですか?

会長:そりゃそうです。売れないと言われたから、型の償却を年間300台、5年1500台で計算した。ところが俺の予想どおり、1カ月に300台売れたんだ。

スズキ広報:なんと初年度6500台売れたんですよ。2年目が5600台。


初代ジムニー(LJ10型)

会長:だから、5年どころか3カ月ぐらいで償却が終わっちゃった。俺はアメリカで赤字を出して肩身が狭かったけど、ジムニーで倍ぐらい取り返した。これで会社には借りはない。それを機に僕は正直、会社を辞めようかと思った。だけど凱旋しちゃったから(笑)。

三好:辞めなくてよかったですね(笑)。

会長:うん、ジムニーが発売されてから小野さんと会った。「スズキが引き継いでくれてジムニーになったが、私(小野さん)が生み出したやつが世に出てくれてよかった」とおっしゃってくれた。「でも、世に広めたのは僕ですよ(笑)」と、お互いの自慢話で一杯やりました。

三好:いい思い出ですね。

会長:という昔の話でね。よろしくね。


●初代ジムニーカタログの表紙

RELATED

RANKING