2020/10/06 コラム

F1ブームの立役者、鈴木亜久里の引退〈1995年〉【連載第19回目:熱田護のF1勝手に片思い】



1995年、ホンダはワークスという位置付けではなく、無限ホンダとしてエンジンの供給を続けていました。

チームはリジェ。
リジェは1972年からF1に参戦、フランス人のギ・リジェさんによって設立されました。

フランス系のチームでフランス人ドライバーが多数在籍し、スポンサーもフランスの国営企業関連も多く、メインスポンサーはジタンやゴロワーズなどフランス製のタバコでした。
そんな、古豪チームも財政難になり、オーナーも転々。ドライバーも資金持ち込みを条件とされることが多くなってきていました。



1994年の鈴木亜久里選手は、パシフィックグランプリにジョーダンからスポット参戦したのみで、翌95年には無限ホンダがリジェに供給するということで交渉しシートを確保したはずが、マネージングダイレクターのトム・ウオーキンショーの一方的な方針で、同じイギリス人のマーチン・ブランドル選手とシートを分け合うことに。6戦しか出場できないような状況になってしまったのです。

 F1は理不尽な世界でもあります。当たり前のように約束が反故にされることもあります。ウオーキンショーが亜久里選手に求めたのは、日本のお金だったのかもしれません。

迎えた日本グランプリで亜久里さんは引退会見を予定していました。しかし前日の予選日、渾身のアタックで激しくクラッシュし、そのままサーキットを後にしました。日本人初の表彰台を獲得し、F1ブームの立役者でもある亜久里選手の最後のグランプリは残念な結果となってしまいました。



写真はギ・リジェさん。奥に見えるのはフランス人ドライバーのオリビエ・パニス選手。
このときのリジェチームは、すでにフラビオ・ブリアトーレさんがオーナーになっていたので、ただ様子を見にきたという感じだったのでしょう。



リジェJS41。
当時、ベネトンB195とソックリだと言われました。
外観からは、確かに誰がどう見ても一緒。もちろん当時も現在も車体はそのチームオリジナルでなければなりません、しかし、FIAは合法と認めました。

前述のとおり、ベネトンとリジェのオーナーは、ブリアトーレさんです。
今年2020年のメルセデスとレーシングポイントが似ているという騒動とまったく一緒です。
一時は各チーム騒ぐのですが、しばらくすると誰も何も言わなくなります。
大人の事情? そんなこんなもF1なのです。



ザウバーのゼテックRフォードV8。



フェラーリのV12気筒、Tipo044。美しい!



マクラーレンに積まれていた、FO 110エンジン。V10です。



次回は1996年シーズンに突入します。

〈文と写真=熱田 護〉

ドライバーWeb編集部

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