2022/12/05 旧車

日産名車再生クラブ「R32スカイラインGT-R N1耐久仕様車」テスト走行レポート…このマシンがなかったら「マイナス21秒ロマン」は生まれなかった!

名車再生クラブのモチベーション、これまでよりも高かった!?

全国の販売会社や日産グローバルギャラリー、座間事業所内にある「日産ヘリテージコレクション」での一般公開(新型コロナウイルス感染症対策で一般見学会は休止中)で目にすることができる日産自動車の往年の名車たち。その一部は走行可能な状態で動態保存され、12月4日に富士スピードウェイで3年ぶりに開催されるニスモフェスティバルでも、毎回現役時代を彷彿とさせる走りを披露している。



今シーズンのGT500・GT300クラスで両タイトルを獲得したスーパーGTマシンをはじめ、歴代のレーシングカー、グループA仕様のR32GT-R、ハコスカ、ケンメリなど歴代のGT-Rと並んで注目を集めたのが、赤×白×青のトリコロールカラーを纏う「R32スカイラインGT-R N1耐久仕様車」だ。



ニスモフェスティバルでの披露を目前に控えた11月9日、富士スピードウェイで完成に向けたテスト走行が実施され、その模様が報道陣に公開された。



当ウエブでは2021年12月12日に神奈川県・厚木市の日産テクニカルセンター(以下NTCと略す)で開催されたレストア作業に入る前のキックオフ式の模様を「なぜ日産は名車レストアを推進? 2021年度は「1990年式R32スカイラインGT-R N1耐久レース仕様車」と題してレポートしている。

その概要をおさらいすると、「ただ展示するだけでなく、きちんと動く形でクルマを保存したい。そして、当時の最高レベルの技術を学びたい」という想いで2006年4月に発足した「日産名車再生クラブ」のメンバーが業務外の時間を使って自主的に集まり、名車をレストアするというもの。

クラブのメンバーはNTC内の開発部門の従業員を中心に構成され、毎年メンバーを社内募集して約80人が再生作業に参加。年に1台レストア対象車を選定して再生作業に取り組み、第一弾の240RS(1983年のモンテカルロラリー仕様車)を皮切りに今回取り組んだR32GT-Rまで16台を再生してきた。

1990年式のR32スカイラインGT-R N1耐久レース仕様車を2021年度のレストア対象車に選んだ理由は? デビューから32年が経過したのと型式のR32にかけて…というわけではなく、
1「当時のツーリングカー最強マシンであるBNR 32のポテンシャルを学ぶ」
2「実験部のメンバーが手作りで仕上げたクルマ作りの工夫点やノウハウを学ぶ」
3「開発実験テストドライバーの育成として位置付けられた企画の背景や活動の実態を学ぶ」
の3つをテーマに掲げている。

クラブ代表の木賀新一氏によると「これまでのレストア車のなかには歴代スカイラインが含まれるものの、R32は手掛けていません。しかし、クラブ員のなかにはR32オーナーがたくさんいて『ぜひ一度やってみたい』という声が上がっていました。そんなこともあって今年度はメンバー全員相当に熱が入っていて『もしかしたら自分のR32にもこの部品が使えるんじゃないか』、『どういった部品の調達ルートがあるのか』など、まるで自分のクルマを直すがごとく取り組んできました」と、クラブ員のモチベーションの高さを語る。

ちなにみに木賀氏の肩書は日産自動車パワートレイン・EV技術開発本部アライアンスPED。新型エクストレイルのe-POWER発電用エンジン、VCターボの開発に携わってきたキーパーソンであり、本誌2023年1月号では「内燃エンジンはまだまだ死せず!」と題したインタビュー記事を掲載している。名車再生クラブではこうした現役バリバリのエンジニアたちがいにしえの名車たちのレストアに取り組んでいるのである。


●日産名車再生クラブの代表、木賀氏

このマシンの経歴を紹介すると1990(平成2)年当時、BNR32GT-Rの実験主担をしていた渡邉衡三氏が社内テストドライバーのさらなる評価能力向上を目的として、当時スタートしたばかりのN1耐久レースへの参戦を企画立案し、栃木実験部のメンバーによって製作された。ドライバーは2003年に数々の名車の誕生に貢献した車両運転性能評価の第一人者として厚生労働省から「現代の名工」に選ばれた加藤博義氏をはじめ、R35GT-Rの開発ドライバーを務めた松本孝夫氏、神山幸雄氏の3人。チームを支えるメカニック陣も実験部のメンバーで構成された。


●左:神山氏 右:加藤氏

1990年の筑波ナイター9時間レースでデビューし、主に富士、筑波、仙台ハイランド、菅生のN1耐久レースに92年まで参戦。それから四半世紀以上、倉庫の隅で永い眠りについていたが、昨年末のキッキオフ式で久々にスポットライトが当てられた。



レストアの作業期間は当初2021年12月から2022年6月まで約半年間の予定で、車両分解の後に各部品の修復とオーバーホールを行い、4月ごろに復元。大型連休明けの5月からエンジン、ミッション、パワートレインの搭載と内外装の仕上げ、6月に確認走行と調整を行い、完成を目指すというスケジュールだった。だがコロナ禍などの影響により、完成式は12月中旬にNTCで実施される予定。今回のイベントは完成ではなく「完成に向けたテスト走行」のために当時のドライバーだった加藤・神山の両氏を招いて富士スピードウェイで試走を行った。



筆者にとっては昨年12月のキックオフ式以来の再会。経年で色褪せたりくすんでいたボディカラーは鮮やかに蘇り、まるで32年前にタイムスリップしたかのよう。懐かしの日産純正アクセサリーブランド、ナヴァーン「navan(anは逆さ文字)」やニスモ、日本信販のゼッケン、ファルケンといったスポンサーロゴも当時の書体で忠実に再現されている。



木賀氏にレストアのポイントを聞いてみた。「手作り感があったところを、そのままにするか、しないかで迷っていました。作業するのにあたって部品を外す必要があるんだけど、外したら元に戻らないのでは? と懸念することも多くて。例えば黄色い牽引フック。GT-R NISMOの象徴ともいえるフロントバンパーの通気孔脇のわずかな隙間に通しているのですが、これを外しちゃうと正確なアライメントが出ないんです。結局ボディの歪んでいる部分とかも直したので、全体のバランスを取るのに大変苦労しました」。



心臓部は2.6L直列6気筒DOHCツインターボのRB26DETT型エンジン。N1に参戦した3年間をノンオーバーホールで走り抜いた。レストア作業では全部バラしてメタルやピストンリング、ヘッドガスケットなどを新品に交換。オイルクーラーはなぜかレストア時には付いていなかったので、イギリスのSERCK(サーク)製の新品を装着。木賀氏によると車体に溶接してあるタワーバーは当時のままで、NISMOのロゴステッカーは経年で文字が消えていたために、当時の書体やデザインを忠実に再現して作り直したという。



足まわりはニスモの車高調整式サスペンションが付いていたが、テインの市販品を新調した。ブレンボキャリパーは当時モノをオーバーホールして使用。




BBSの鍛造17インチアルミホイールも当時のまま。タイヤはレストア前245/45ZR17サイズを履いていたが、ファルケンAZENIS RT615K+の255/40R17を装着。



懐かしそうに細部を確認しながら「現役当時はこんなにキレイじゃなかった。自分たちのクルマじゃないみたい(笑)」と、かつての戦友と再会した感想を述べる加藤氏。ファーストドライバーの神山氏が動作確認しながらゆっくりコースインすると、全盛期さながらの快走を披露。ホームストレートでの最高速は220㎞/h以上に達した。




加藤氏はかつて八重洲出版刊「3代のスカイラインGT-Rメモリアルブック」の、BCNR33GT-Rの開発インタビューのなかで「渡邉さんにそそのかされてN1耐久レースに出た、初めてね。これが後ですごく役に立った。会社のクルマにロールケージ組んで、安全タンク付けて。そのとき、こんなにクルマって変わるんだ、と知りました」と、R32スカイラインGT-R N1耐久仕様車が果たした意義について述懐している。そう、このマシンがなければニュルブルクリンクでBNR32のレコードタイムを21秒も縮めた、BCNR33の名キャッチコピー「マイナス21秒ロマン」は生まれなかったのだ。



<文=湯目由明 写真=澤田和久>

ドライバーWeb編集部

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