2021/12/16 ニュース

なぜ日産は名車レストアを推進? 2021年度は「1990年式R32スカイラインGT-R N1耐久レース仕様車」

●伝説の名車が蘇る!

日産の社内や倉庫に保存されている数多くの名車たち。その姿は日産グローバルキャラリーや座間事業所内にある「日産ヘリテージコレクション」での一般公開(現在は新型コロナウイルス感染症対策で休止中)で目にすることができるが、その一部は走行可能な状態に再生(レストレーション)されている。コロナ禍の影響で2年続けて開催が見送られているニスモフェスティバルでは、往年の名車がサーキットを現役時代さながらに快走する姿が年末の風物詩になっている。

カタログや雑誌、過去の映像、博物館でしか出会えない名車の「生きている姿」を見てみたい…クルマ好きなら誰もが抱く夢を叶えるのが、2006年に4月に発足した「日産名車再生クラブ」。その活動内容は「ただ展示するだけでなく、きちんと動く形でクルマを保存したい。そして、当時の最高レベルの技術を学びたい」という想いから、日産テクニカルセンター内の開発部門の従業員を中心としたメンバーが業務外の時間を使って自主的に集まり、名車をレストアする社内のクラブ活動。


●名車再生の第一弾となった240RS


●240RSのエンジンルーム

運営はコアメンバー12人が行い、毎年クラブメンバーを社内募集して約80人が再生作業に参加。年に1台レストア対象車を選定して再生作業に取り組み、第一弾の240RS(1983年のモンテカルロラリー仕様車)を皮切りにこれまで15台を再生。2021年度の再生車両に選ばれたのは、1990年式R32スカイラインGT-R・N1耐久レース仕様車。2003年に数々の名車の誕生に貢献した車両運転性能評価の第一人者として厚生労働省から「現代の名工」に選ばれた加藤博義氏をはじめ、松本孝夫氏、神山幸雄氏の日産トップガン3名が1990~93年までN1耐久シリーズを戦った由緒あるマシンだ。

約半年間に及ぶ再生作業に先立って、2021年12月12日にキックオフ式が神奈川県・厚木市の日産テクニカルセンターで開催された。


●左から渡邊衡三氏、松本孝夫氏、加藤博義氏、NPO法人日本モータースポーツ推進機構理事長 日置和夫氏、日産名車再生クラブ代表 木賀新一氏

1990年式R32スカイラインGT-R N1耐久レース仕様車を取り上げた理由は、下記3点。
①「当時のツーリングカー最強マシンであるBNR32のポテンシャルを学ぶ」
②「実験部のメンバーが手作りで仕上げたクルマ作りの工夫点やノウハウを学ぶ」
③「開発実験テストドライバーの育成として位置付けられた企画の背景や活動の実態を学ぶ」

再生車両のヒストリーも興味深い。1990年に当時R32スカイラインの実験主担だった渡邊衡三氏が、社内テストドライバーのさらなる評価能力向上を目的に、当時スタートしたばかりのN1耐久レースへ参戦する企画を立て、栃木実験部のメンバーによって製作された。



ドライバーは「現代の名工」加藤博義氏、R35GT-R開発ドライバーの松本孝夫氏、神山幸雄氏と錚々たる顔ぶれで、チームを支えるメカニック陣も実験部のメンバーで構成された。1990年8月の筑波ナイター9時間耐久レースでデビューし、主に富士、筑波、仙台ハイランド、菅生のN1耐久レースに92年まで参戦。ちなみに、再生車のシャシー番号(BNR32-100560)は、グループAレースのホモロゲーションモデル(公認車両)として90年に500台限定で販売されたR32スカイラインGT-Rニスモの最終号車であることを示している。


●渡邊衡三氏いわく、「『ドライバーの育成』『メカニックの整備能力の向上』という名目でN1レースに参戦しました。このクルマを作ることによって、彼らが得たノウハウがR33以降のGT-Rの開発に役立ったと聞いています

「テストドライバーによるN1参戦」について、渡邊衡三氏は「90年に走りの性能でナンバーワンになるというプロジェクト『P901』の目標必達のために、世界の道を知り、ドライバーを育てることを目的としました。特にR32スカイラインはP901の成果を日本向けに織り込んだクルマ(ヨーロッパ向けはプリメーラ、アメリカ向けはフェアレディZとインフィニティQ45)で、走りのナンバーワンを目指すには評価ドライバーの寄与するところが大きいだろうと。もうひとつは、社内のテストコースは厳しい走行規定があり、もう少し彼らがのびのびと走れる場を提供したいという想いもありました」と当時を振り返った。


●加藤博義氏は、「我々の仕事はデータ取りしたクルマを栃木やNTCに戻ってエンジニアに展開すること。それも含めて開発スケジュールが決まっているので、絶対にクルマを壊すことができない。そこがレーシングドライバーとの決定的な違いです」と語った

加藤博義氏は「ボクらは評価ドライバーとしてこのクルマの『素』を知り尽くしているだけに、クルマを全部バラしてグループAのロールバーを組んでテストコースを走ってみると『こんなに剛性が上がるのか』ってびっくりしました。当時は車体剛性感とかモノコックの剛性感なんて概念がなくて『これは凄い』と。だからR33の開発でも乗るとすぐに分かっちゃうんですよね。『ここは弱い』というのが。33にはボディを補強するためにいろんな棒や板が入っているんですけど、あれはまさにこのクルマのノウハウが生きています。N1耐久で知った剛性の概念が33、34GT-Rまでつながっているのかな」と、N1参戦の意義を語った。


●松本孝夫いわく「レースなので『最悪壊れても』というのは根底にありますが、開発ドライバーは常に開発スケジュールが頭の中にあるので、試作車をけっして壊せない。なおかつクルマの実力をすべて引き出して、それを何回やっても再現でき、エンジニアに対して今起きていることを分かりやすく説明する能力がないと開発ドライバーは務まりません」

「評価ドライバーとしての能力を鍛えてくれたのがこのクルマです」と想い出を語るのは、R35GT-Rの開発ドライバーでもある松本孝夫氏。初戦の筑波ではクールスーツを着用せずに猛暑のなかを走り抜いたという。「32GT-Rで初めての海外出張、それもニュルブルクリンクを走って。その後も34、35の開発でニュルに通って。そういう意味ではR32が第二世代GT-Rの原点であり、第三世代のR35にもつながっている。そのクルマが動態保存されることは、とても意義のあることだと思います」と再生作業への期待を語った。

作業期間は2021年12月から2022年6月まで。車両分解の後に各部品の修復とオーバーホールを行い、4月頃に復元。大型連休明けの5月からエンジン、ミッション、パワートレインの搭載と内外装の仕上げ、6月に確認走行と調整を行い、完成を目指す。作業に携わるメンバーの間でもR32の人気は高く、レストア作業に熱が入りそうだ。


●1990年式R32スカイラインGT-R・N1耐久レース仕様車


●1990年式R32スカイラインGT-R・N1耐久レース仕様車


●RB26DETT型エンジンは3年間ノンオーバーホールで走り抜いた。最後は神山氏のドライブ中、SUGOの「馬の背コーナー」でエンジンブローしたという


●レストア車には17インチのBBSホイールと245/45ZR17サイズのタイヤを装着。ブレーキキャリパーはブレンボだが、加藤氏いわく「ブレンボを付けて走った記憶がないんだけど…」


●トランクルームに設置された容量120Lのクイックチャージャー。給油口のばね反力が強いため、力自慢のスタッフが給油係に任命された


●FIAの公認書類を基に作成したグループAと同じロールバー。他チームは市販品もしくはコンストラクターがオリジナルで製作したもので公認を取っていたという


●ヘッドライトは基準車がプロジェクターなのに対し、レストア車は91年に発売されたレースベース車「N1」の異形2灯式に変更されていた

〈文=湯目由明 写真=澤田和久〉

ドライバーWeb編集部

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