2021/07/14 コラム

【安全教育は自動車メーカーの社会的責任】ホンダがドライビングシミュレーターを開発する理由|その1|

ホンダが運転免許教習所向けに販売する安全運転教育用ドライビングシミュレーターが2021年4月にマイナーチェンジを実施した。そもそも、ホンダがなぜ、ドライビングシミュレーターの開発をしているのか。これまでの経緯と進化を続ける“ドライビングシミュレーターの今”を取材した。
 
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クルマ(ハード)の安全性能が高まる今、ソフト面はどうなってる?
 
今どきのクルマは軽乗用車に至るまで、安全装備がとても充実している。もちろん歓迎すべきことだ。その分、車両価格は高くなってしまうが、安全・安心には代えられない。特に、予防安全に大きく貢献する先進運転支援装備(ADAS)は、今後もさらに進化・発展を続けるだろう。しかし、何か忘れちゃいないか!?
 
人間の教育である。ハンドルを握るドライバーが安全運転のための知識やスキルを向上させれば、交通事故は格段に少なくなるはずだ。ライダーやサイクリストもしかり。さらに言えば、歩行者も。交通安全対策は本来、ハードウェア(=車両と道路)とソフトウェア(人間教育)の2つが、言わば車の両輪。だが、クルマの場合、少なくとも日本ではハードウェアに頼りすぎる傾向にあるのではないか。
 
そんなことをあらためて考えていた時、ホンダから興味深いニュースリリースが来た。
「安全運転教育用『ドライビングシミュレーター』をマイナーモデルチェンジし発売」
 
そうだ。ホンダは日本でいち早く実践的な安全運転教育に取り組んできた。ハードだけでなく、ソフトの面でもモータリゼーションの健全な発展に大きく貢献してきたのだ。
 
その歴史は古い。
 
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白バイ・パトカーの運転技術指導から
 
鈴鹿サーキットに安全運転講習所(現・交通教育センター)が開設されたのは、サーキットの完成から2年後の1964(昭和39)年。さっそく中部管区の白バイ隊長から相談を受け(当時は年間20名近くの白バイ隊員が殉職していたという)、名神高速道路開通に伴う白バイ・パトカーの運転技術指導が始まった。
 
翌65年からは、受講対象を郵政省や電電公社(いずれも当時)などの官公庁に拡大。運転免許保有者に向けた運転トレーニング施設は、日本初のものだった。
 
白バイ隊員の運転教育は66年、警察庁全国白バイ教育に発展した。以後、本格的な白バイ訓練が鈴鹿で行われるようになり、ついに殉職者ゼロを達成。この実績によって交通教育の有効性が立証され、行政当局による安全教育諸対策の推進へとつながっていく。
 
安全運転教育は自動車メーカーの社会的責任である
 
創業者・本田宗一郎は、「人の命を預かる車を造っている会社」として、安全運転の普及活動は社会的な貢献ではなく、社会的責任だと考えていたという。こうした経緯から、宗一郎は日本の交通安全教育の生みの親、育ての親と言われているのだ。
 
ちなみに、69年には警察庁主催の全国白バイ安全運転競技大会(白バイ大会)がスタート。ホンダはその第1回から現在までサポートを続けている。

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70年、ホンダは「ユーザーユニオン問題」に巻き込まれる。アメリカに端を発した自動車の安全性をめぐる消費者運動で、いくつものメーカーが欠陥車を製造・販売したとして批判の対象にされたのだ。
 
交通事故死亡者数の急増が、その背景にあった。日本ではモータリゼーションの急速な発展に伴い、59年に1万人を突破。70年には統計史上最悪の1万6765人に達し、「交通戦争」は極めて重大な社会問題となっていた。半世紀後の2020(令和2)年は2839人で、コロナ禍とはいえついに3000人を下回っている。
 
1970年、今につながる安全運転普及本部を設置
 
ホンダが現在の安全運転普及本部を立ち上げたのは、その70年。国会に参考人として出席した西田通弘(当時専務)は、議員の一人から求められたN360の公開テストに快諾した。結局テストの実施には至らなかったが、西田はクルマや一般ユーザーまで対象を広げた安全運転教育の大幅な強化を宗一郎と藤澤武夫(当時副社長)に提言。その20日後には同本部を発足させたというから、当時のホンダの気質が伝わる電光石火ぶりである。
 
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以降、普及活動の軸となるインストラクターの養成トレーニング・プログラムについて、安全運転普及本部はその理念を、鈴鹿サーキット安全運転講習所は実技をそれぞれ作成。ホンダは交通安全教育について、「危険を安全に体験」「実車を使った運転実技のスキルアップ」の2つを一貫して考えた。それを全国レベルで実現するため、73年に第1号となる交通教育センターを福岡にオープン。その後も埼玉、熊本など開設を続け、国内は現在7拠点を中心に全国で活動を続けている。
 
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そうした視点は、もちろん海の向こうにも向けられた。70年代のブラジルを皮切りに、海外まで活動の範囲を拡大。現在は日本を含む世界42の国と地域の現地法人で、各国の交通事情に合わせた安全運転普及活動が展開されているのだ。


〈文=戸田治宏 写真=山内潤也〉
 



今回のドライビングシミュレーター取材に協力いただいた本田技研工業 安全運転普及本部 デジタル推進課の方々。左から新井直樹さん、主任 根岸久仁一さん、課長 山中弘正さん、主事 安田徳生さん


本企画は3部構成です。次回は「その2 こだわりすぎはホンダのサガ?」をお届けします

ドライバーWeb編集部

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