2019/08/27 コラム

100万㎞を「は~しれ、はしれ~♪」 耐久テストをプロモーションにした【いすゞフローリアン】

60年代から80年代まで生き続けたロングセラー車の秘訣はここにあり!?

いすゞフローリアンというクルマを覚えているでしょうか。ベレットGT、117クーペ、ジェミニ、ピアッツァなど、個性的なクルマが多いいすゞ車の中にあってはちょっと影が薄いクルマですが、1960年代~80年代まで販売されたロングセラーなモデルです。ベレットの上級版として開発され、4ドアセダンとライトバンのバリエーションが展開されました。さて、そんなフローリアンがデビューしたのは1967年11月のこと。1960年代には「出たてのクルマはどんなトラブルが起こるかわからないので買わないほうがいい」という見方も根強くあり、いすゞはそれを払拭するためあるPR方法を採用しました。それは「フローリアン・100万㎞チャレンジ」という壮大な耐久テストを行い、その模様を広告などに活用するというものだったのです。


●1967年登場のいすゞフローリアン(初期型)。デザインはVWカルマンギアなどを手掛けたイタリアのカロッツェリア、ギア社によるもの。エンジンはベレットGTと同系のOHV1600cc直列4気筒を搭載(1969年にOHC1600cc直列4気筒へと換装される)。駆動方式はFR。

こうしたPR方法は、1964年にトヨタが新型コロナで開通したばかりの名神高速を連続10万㎞高速走行し、テレビやラジオなどでも過程を随時放送するという例がありましたが(58日間で走破)、なんとフローリアンはその10倍の100万㎞を掲げたわけです! しかも、あくまで実際のユーザーの使用環境に沿ったテストとするため、いすゞは厳しい条件を自らに課しました。ドライバーはメーカーの技術陣やテストドライバーではなく全国のいすゞ社員が担当し、テスト中の整備も2万㎞ごとの定期点検・消耗品交換のみとされたのです。


●テスト走行の過程で、長野県・松本付近の悪路を走るフローリアン。正式発表前にプロジェクトはスタートしたため、市販版とは異なりフロント部を丸型ヘッドライトで擬装している。

……とはいえ、ここまでの写真を見た皆さんはもうお気付きかもしれませんね、さすがに1台で100万㎞を走り切ったわけではありません。テストには10台のフローリアンが用意され、それぞれが10万㎞を担当。全国のディーラーを5ブロック(名神班、東北・北海道班、四国・九州・中国班、北陸・近畿・中部班、関東班)に分け、選抜された社員がドライバーとなったのです。走行距離は1日500~600㎞、ひとりのドライバーが2時間以上運転してはいけない、最低2名が乗車しリヤシートの居住性もチェックする、という条件もありました。そして、1967年6月1日、第一陣となる東北・北海道班が出発。ドライバー1968年3月号では「カメラ・ルポ 1800日のテストを追う」という記事でその終始をレポートしているのですが、こんな面白いエピソードも──。


●北海道・中山峠の雪の中を走る東北・北海道班。コースの1/3は未舗装路だった。

●ぬかるみを突破するフローリアン。まるでラリーのような一幕!

「100万㎞チャレンジ」開始時はフローリアンの正式発表前だったため、ボディにはカムフラージュがされたほか、テスト班も身分を明かすことを禁じられたといいます。そんななか、通りがかりに溺れている人を見つけ、テスト中のあるドライバーが救助活動を行ったのです。が……「助けてくださったのはどちらさまでしょうか?」なんて尋ねられても、いすゞ社員であることは明かせない! そのドライバーは騒動を見守った人垣から何とか逃れてテストに戻ったものの、「人命救助の表彰をフイにしてしまったよ」と冗談交じりに悔しがったとか。


●ボデーラインをカムフレージュした覆面車。テスト班はヘルメットを常備。

●始動の際はオイル・水・空気圧の点検、オイル・オイルフィルター・ポイントなど消耗品は2万㎞ごとの交換と、点検・整備は一般ユーザーと同じ基準で行われた。

●夕焼けの桜島に見入る四国・九州・中国班。
さて、テストの道中はどうだったかというと、このプロジェクトを担当したいすゞの竹田事務局長(当時)いわく「日本のあらゆる道を走り尽くした」とのこと。オイル漏れ、マフラーハンガーの欠損、リヤシャフトの不具合などが走行4万㎞までの間に見られたもののそれ以外は快調で、また発見された不具合はすぐに調査・研究が行われ、最終的な販売車両にフィードバックされたといいます。そして、延べ1800日という日数を費やし、10台のフローリアンは計100万㎞を完走。1968年1月11日、最終パートを担った関東班の2台が、「フローリアン全国縦断100万キロチャレンジ」という大きな看板と大きな歓声が待ち受ける東京プリンスホテルのゴールへたどり着いたのでした。

●「100万キロチャレンジ」の様子を用いた1968年の雑誌広告。

ちなみに、フローリアンより先に登場していたベレットが4輪独立サスペンションを採用していたのに対し、フローリアンはリヤサスペンションにリジッドアクスル+リーフスプリングを採用するちょっと古くさい構成(フロントはダブルウィッシュボーン+コイルスプリング)。ですが、保守的ではあるものの、そうした堅牢な車体構成が「100万㎞チャレンジ」の成功を支えたのかもしれませんし、デザイン変更やエンジンの換装は行われつつも、車体自体は改良を受けることなく1980年代まで現役で活躍(そのため“走るシーラカンス”などとも言われましたが……)できた秘訣だったのかもしれません。現在いすゞ自動車はトラックやバスといった働くクルマの専業メーカーとなっていますが、乗用車でも“タフなクルマ”を世に送り出していたんですね!


●1970年登場の中期型。初期型ではスポーツモデルの「TS」(ツーリングスポーツ)のみ丸型4灯ヘッドライトだったが、全グレード丸型4灯に。また、OHC1800cc4気筒エンジン車が追加された(1973年に1600ccエンジン車は廃止され、1800ccに一本化される)。

●1977年登場の最終型。車名にSⅡ(シリーズツー)が付くようになる。ロールスロイス風(!?)の押し出しあるデザインへと大胆に変わっているが、車体面はほぼ初期型の構成を継承している。2000ccのディーゼルエンジン車が設定され、タクシー需要も多かった。1983年に販売終了、以降「アスカ」がその後継となった。

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