2020/06/15 モータースポーツ

日本でも大人気!1992年、悲願のF1ワールドチャンピオンを獲得したナイジェル・マンセル【連載第6回:熱田護の勝手に片思い】


1992年シーズンを振り返っていこうと思います。

圧倒的に速かったのはウイリアムズFW14B、ドライバーはナイジェル・マンセル選手とリカルド・パトレーゼ選手。


この年、ウイリアムズは16戦中10勝で、マンセル選手においては14回もポールポジションを獲得しています。

この14Bというマシンのデザイナーは、現レッドブルホンダのエイドリアン・ニューエイさん。


大きな武器となったのが、アクティブサスペンション!

さらに、セミオートマチックギアボックス、トラクションコントロールというハイテク装備のマシンでした。


この2台だけが異次元なスピードで他を圧倒してましたね。


マンセル選手は、悲願のワールドチャンピオンを獲得。

日本での人気もすさまじかったです。


マンセル選手はアライヘルメットユーザーでした。

いつも、バイザーの曇り防止のためなのか、このように隙間を作る用のガムテープを付けてました。


イギリスグランプリでは、もちろん地元のヒーロー、マンセル選手の応援のお客さんでいっぱいでした。


マンセル選手のステアリングには、何やらセッティングの数字らしきものが手書きで書いてありました。

トラクションコントロールなのか、アクティブサスペンション用のものなのでしょうか?


モナコのステーションヘアピンをいくマンセル選手。


パトレーゼ選手は、アクティブサスペンションの挙動が自分の好みに合ってなかったということと、高速コーナーでのステアリングの重さに苦しんだと言われ、日本グランプリでの1勝しか挙げられませんでした。


第11戦のハンガリーグランプリで、当時の最速記録でマンセル選手がチャンピオンを獲得しました。

この写真は、レースを2位で終えてパルクフェルメに戻ってくるチャンピオン・マンセル選手を出迎えるお客さん!を制止する係りの人。

この位置にたくさんのお客さんがいることにビックリです。

古き良き時代ですよね。

次回は1992年のセナ選手などを書きたいと思います。

〈文&写真=熱田 護〉

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