2020/04/18 旧車

「海辺でフルフラットにして彼女と…」赤いXGのファミリアが残した功績

“陸サーファー”はファミリアが生み出した


「マツダ ファミリア」。
――その車名は、イタリア語の「家族」の意。家族そろってドライブへ行くという想いを込めて命名されたという。


●ファミリア800バン。排気量782cc・42馬力のオールアルミエンジンを搭載


初代が誕生したのは、翌年に最初の東京オリンピック開催を控えた1963(昭和38)年9月。
まずは2ドア+上下2分割のテールゲートを備えたバンからスタートした。

ときは鈴鹿サーキットでの第1回日本GP開催(1963年5月)や名神高速道路の一部開通(1963年7月)と、まさに日本のモータリゼーションの黎明期。翌1964年には4ドアセダンとトラックを追加し、のちにクーペも加わりラインアップを拡大。その歴史は日産サニー(1966年4月)やトヨタ カローラ(1966年11月)よりも古いのだ。


●マツダ自社生産としてのファミリアは9代目(1998〜2004年)まで


初代はまず800ccのアルミ合金直4OHVエンジンに始まり、ライバルの登場に合わせて排気量を1000ccに拡大。
2代目ではコスモスポーツに次ぐロータリーエンジン(10A型)搭載のファミリアロータリークーペも登場。

以後、FF化、フルタイム4WD、カブリオレ、ツインカムターボとマツダを代表するモデルとして進化と変化を続け、9代目を最後に、2004(平成16)年4月に40年の歴史に幕を下ろした。


1歳の子どもが40歳のオジさんに…。
そう考えると、40年が、いかに長い歳月であるかを実感させられる。

その歴代モデルのなかでも大きなターニングポイントとなった「赤のXG」。…そう、5代目ファミリアが誕生したのも今から40年前のことだ。


●発売当時のカタログから(1500XG)


80(昭和55)年6月に誕生した5代目は、マツダのレシプロエンジン車初の横置きFFレイアウトを採用。ボディは先代と同じく2ボックスハッチバックを継承したが、丸みを帯びたデザインは、直線基調のウエッジシェイプに刷新。


●当時のライバルも軒並みFF化を推し進めていたが、走りのよさは頭抜けていた


エンジンは直4OHC の1300(グロス74馬力)と1500 (同85馬力)の2種類を設定。サスペンションは4輪ストラットの独立式で、リヤには2本のロアアームと長いトレーリングアームを組み合わせ、トーコントロール機能を備えた「SSサスペンション」を採用。3ドアの1500XGは電動サンルーフが標準装備で、後席が側面の内装と連動した「ラウンジソファーシート」を採用。


●当時のカタログから。当時の男子は、海辺でフルフラットにして彼女と…なんて妄想していたのだろうか


当時、若者にとって80年以前のコンパクトハッチバックは「オバさん向けの買い物グルマ」とされていた。そこへ初代VWゴルフに通じるクリーンでシャープなスタイルと軽快な走行性能を引っさげ登場した5代目ファミリアは、発売直後から若者を中心に大ヒット。赤いXGにサーフボードを固定した(実際に波には乗らない) “陸(おか)サーファー” という流行語までを生んだ。


●コンポが充実した時代を感じるオプションカタログ(上)。ノッチバックの「サルーン」はまったく違う顔つきだった


ちなみにこの5代目。発売と同年(1980年)に始まった日本カー・オブ・ザ・イヤーの第1回受賞車であり、月販台数ランキングでも82年に3度、83年には5度の国産車ナンバー1に輝いた。

さらに登場から33カ月連続で前年同月の販売台数を更新。量産開始から27カ月で100万台生産達成と、当時の世界最短記録を塗り替えた。

まさに破竹の勢い。今では考えられないほどヒットし、そしてケタ違いに売れたモデルだった。



〈文=driver@web編集部〉

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