2019/08/09 コラム

愛と平和のスカイライン──カリフォルニアで2台のビンテージ・スカイラインと暮らす

「ハコスカ」「ケンメリ」が世界共通語になる?


(www.youtube.com)
C10系スカイラインが世に放たれたのは、いざなぎ景気まっただ中の1968年。戦争を知らずに育ったベビーブーマーが、ちょうど親元を離れるころである。カウンターカルチャー(対抗文化)の担い手である彼ら新時代の若者たちは、そのときアメリカで、ヨーロッパで、そして日本で「ラブ&ピース=愛と平和」を唱えつつ、一方では物質的豊かさを否定しながら、他方では自由を得る翼としての価値をクルマやモーターサイクルに見出していた。ザ・ビートルズとモータリゼーションが並んでやってくる時代。それは日本の若者が先進国の同世代人とはじめて思潮をシンクロさせた歴史的瞬間でもあっただろう。少子高齢化社会の現代とは隔世の感があるが、当時の正義は若者の側にあり、だからこそ愛も正義たり得ていた。C10系から後継のC110系にかけて掲げられたキャッチコピーは「愛のスカイライン」。戦後の復興と民主化を経ることで共同体から個人へと取り戻された「愛」を、誰に恥じらうことなく堂々と謳歌できる、そんな時代の空気を感じさせる素晴らしいコピーだ。その当時カウンターカルチャーの世界的発信地であり、愛と平和の牙城のひとつであったアメリカの学園都市バークレーにいま、2台のスカイラインがある。C10系(ハコスカ)とC110系(ケンメリ)のハードトップ2000GTが現地で異彩を放つ背景については後回しにして、まずは旧車専門YouTubeチャンネル『Petrolicious』の、こちらの動画をご覧いただこう。

●直6の快音を響かせながら太平洋対岸のワインディングを疾走する、ハラミヨさんの2台のスカG。ハコスカとケンメリの2台を手に入れたことは、人生で下した決断の中で最良のものだったという。この2台のスカGのオーナーは旧車レストアラー向けのショップを経営するイヴァン・ハラミヨさん。かねてからハコスカのレースDVDを繰り返し見ていたほどのスカイライン愛好家で、ハコスカはショップから、ケンメリは個人売買で購入した。「クルマは乗ってこそ価値がある」と信じるハラミヨさんは愛車を飾り物にせず、どこへだろうと駆っていく。バランスの良くとれた3連ミクニキャブの咆哮が裏づけるように、走行中は常に愛車の音に耳をすませて各部を完調に保っているとのことで、その熱いスカイライン愛は画面越しにも伝わってくる。カリフォルニア州のナンバープレートを付けたスカGは、往年の旧車愛好家の心を揺さぶる。歴代スカイラインはアメリカ本土へは正規輸出されていないうえ、米国連邦法は長らく安全基準を盾に、新車・中古車の並行輸入に厳格な規制を敷いていたのだ。状況が一変したのは1988年のこと。趣味的な旧車を対象とした例外規定が設けられ、製造後25年経過すれば安全規制の免除が適用されるように連邦法が改正された。たとえば、1970年製の日本車はアメリカの安全基準を満たしていなくても、1995年以降は現地でも登録できるようになった。俗に「輸入車25年ルール」と呼ばれるこの免除措置は、現地の日本車愛好家にとって大いなる朗報だった。ハラミヨさんのスカGはもうすっかりアメリカに溶け込んでいるものの、その希少性は日本国内以上に際立ち、街を流せば注目の的だという。日本の旧車については各メーカーの正規輸出車が熱心な固定ファンを獲得してきたこともあって、すでに現地旧車シーンの一翼を担っている。近年はそれに「25年ルール」の恩恵を受けた並行輸出車が続々と加わり、右ハンドルやフェンダーミラー、日本語のコーションラベル、当時物の日本製アフターマーケットパーツなどが愛好家垂涎のディテールとなっている。歴代スカイラインの知名度も日増しに高まっており、「ハコスカ」や「ケンメリ」という愛称も、少なくとも愛好家の間では着実に浸透しつつある。「日本が誇りとする名車が海外に流出してしまう」と憂う声も耳にする。その気持ちは理解できるけれども、このまま少子高齢化が進めば、やがて日本は旧車を維持・継承する社会的余裕にも事欠くようになる。かつてのバブル期に欧米から日本へと持ち込まれた一部の旧車のように放置され、朽ち果てさせてしまうくらいなら、ハラミヨさんのような海外の愛好家の手で、その誇り高い姿を世界に、そして後世に伝えてもらったほうがクルマも幸せに違いない。日本の旧車はいまや世界の愛好家共通の財産。「愛と平和」なくしてはハコスカもケンメリも、地上を走り続けることはできない。
●ハコスカのハンドルを握るイヴァン・ハラミヨさん(www.youtube.com)
(オールドタイマー編集部・横須賀 零)

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