2021/05/17 コラム

歴史ある「パジェロ製造」が8月に生産を停止。かつてホンダのオープンカーも担当していた!

●初代パジェロ キャンバストップ

海外向けパジェロも2021年8月に生産終了



三菱パジェロは2019年8月に国内向けモデルの生産を終了。現在は中東や中国、オーストラリアなどで販売する海外向け車両の生産が行われている。そして、ついに21年8月末をもって海外向けモデルについても生産を終了する。


●4代目が最後となったパジェロ

すでに20年7月に発表した三菱自動車の中期経営計画では、国内事業再編に伴い完全子会社の「パジェロ製造(株)」の生産停止、岡﨑製作所への移管を発表した。このときは21年上期の生産停止予定とされたが、このほど21年8月末での車両生産終了が明らかになった。「パジェロ製造」では海外向けパジェロのほかに、デリカD:5、アウトランダーを生産しているが、すべて8月末までには生産を打ち切る。


●三菱ジープの生産を1960年から担当

「パジェロ製造(株)」は、1943年に航空機部品の製作を目的として岐阜県内に設立された「東洋航機(株)」が前身。46年には社名を「東洋工業(株)」に改めたが、何とマツダの旧社名とまったく一緒だった。その後、自動車の車体製造に参入し、60年に「東洋工機(株)」に社名を変更した。同年から「三菱ジープ」のボディ架装・艤装作業を行い、続いて67年に一貫生産を開始。長年にわたりヘビーデューティーモデルの製造に携わってきた。76年には現在の岐阜県加茂郡坂祝(さかほぎ)町に移転して社名を「(株)東洋工機」に変更している。


●初代パジェロ キャンバストップ

転機となったのは、82年2月にパジェロの一貫生産を開始したこと。4WD車はユーザー層の拡大とニーズの多様化が進み、ランドクルーザーやサファリ、ビッグホーン、ジムニーなどが登場。そんななか三菱ジープは基本設計の古さに対する不満が高まっていた。特に高速性能や静粛性、5速MT、前輪ディスクブレーキの採用などの要望が多かったという。また、三菱ジープはライセンス契約によって原則として輸出できない点もネックだった。そこで、民間用にジープとはまったく異なる新世代の4WD車を開発することになった。その結果、近代的でスタイリッシュなデザインに包まれたパジェロが誕生したのである。

東洋工機はジープを生産していたことから、新型車パジェロの生産を担うことになった。以来、RVブームとともにパジェロを造り続け、4代目の現行モデルまで累計250万台以上を生産。95年には屋台骨であるパジェロの車名を取り入れて「パジェロ製造(株)」と改称した。1車種名が社名にまでなったのは異例のことである。

パジェロのオフロード性能を受け継ぐデリカD:5は07年1月に生産開始し、同車の全量を生産。15年12月にはアウトランダーの補完生産を開始。約1200人の社員がクルマの製造に携わっている。

ピックアップトラック「フォルテ」やホンダ シティカブリオレも生産



ちなみに、異色の生産車種は1トンピックアップトラック「フォルテ」のリヤボディ(78年5月生産開始)と84年6月に一貫生産を始めた「ホンダ シティカブリオレ」である。


●初代フォルテ(海外名L200)

特にシティカブリオレは、ボディの基本構造、ソフトトップのスタイリング/レイアウトをイタリアのカロッツェリア、ピニンファリーナ社に依頼し、ホンダS800M以来14年ぶりにオープンカーを発売。その生産については、ジープやパジェロの幌車での製造経験が豊富な東洋工機に白羽の矢が立った。ボディカラーは原色からパステル調まで、カラフルな12色を取り揃えていたが、少量生産車ならではの特別仕立てといえるだろう。


●ホンダ シティカブリオレ(1984年)

〈文=ドライバーWeb編集部〉

ドライバーWeb編集部

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