2021/05/05 コラム

最強パジェロには秘密がたくさん!増岡 浩が語るダカールラリーの過酷さ【第3回】

三菱自動車では2021年3月24日から6月下旬までの予定で、三菱自動車本社1Fショールーム(東京都港区芝浦3丁目1番1号)で、ダカールラリー展を開催中。※緊急事態宣言発令中は、ショールームが臨時休館となっており、再開やオープンの状況については下記オフィシャルサイトをご確認ください。https://www.mitsubishi-motors.co.jp/carlife/hqshowroom/index.html

三菱自動車はダカールラリーに1983~2009年までに計26回出場し、通算12回の総合優勝を果たしている。当時の迫力のある写真パネルを展示しているほか、2002年の優勝車パジェロ(ドライバー増岡 浩氏 実車車両)を展示中。車両に残る戦いの痕跡からは、当時の熱闘ぶりがうかがえる。ぜひご自身で確認していただきたいと思う。

さて、今回のダカールラリー展を記念して、2002年・03年に日本人初の総合2連覇を果たした増岡 浩氏に、優勝時のエピソードや車両の詳細について伺った。増岡氏(1960年・埼玉県生まれ)はパジェロを駆り、ダカールラリー出場通算21回の砂漠の王者である。

2002年ダカールラリー出場車の秘密



2002年のダカールラリーは従来の市販車改造クラス(T2)がプロトタイプクラス(T3)と併合し、新設された「スーパープロダクション部門」になり、市販車無改造クラス(T1)は「プロダクション部門」に移行しました。僕はスーパープロダクション部門に出場しました。今回の展示車は、従来のT2仕様をベースとしたスーパープロダクション仕様です。優勝した車両そのものです。



まずは外観から見ていきましょう。フロントグリルは取り外せるようになっています。ずっと草原を走っていると、グリルの奥にある網に草がたまってオーバーヒートしてしまうんです。網は二輪車などが跳ね飛ばす石で、ラジエターに穴が開くのを防ぐためにあります。そこに草がたまってきて、どうしても温度が上がってきたら、グリルを外して掃除ができるようになっています。



エンジンルームを見ていただくと、3.5リッター260馬力/36kgmのガソリンエンジンを搭載しています。モノコック構造ですが、サスペンションの下にサブフレームがあって、ロールバーを含めて全部パイプでつないでいるんですよね。全体でボディ剛性をさらに高めています。



足元はフロントが2本のショックアブソーバーですけれども、リヤは3本のショックです。普通はダブルでいけるんだけど、このクルマは安定性を増すために、伸びを抑えるためのショックアブソーバーを1本追加しているんですよね。



室内を見てみましょう。左ハンドルで、運転席は背もたれが立っていて、けっこう前のポジションだと思います。やっぱり視界をよくするためには前の位置のほうがいいんですよね。これは当時の位置そのままです。ピラー部分には、走りながら水を飲むキャメルバッグの管があります。マジックテープで付いていて、ちょっと外してみますが、当時の細かい砂が落ちてきますね。



ミッションはHパターンで6速のマニュアルです。センタークラスターの下側にあるのは、粗悪ガソリン使用時のための選択ダイヤルですね。めったに使わないので下の方にあります。トップチームは一番品質の安定している航空燃料、セスナとかヘリコプターなどに使用する飛行機用の燃料を用意します。オクタン価は108か110だったかな。でも、(トラブルなどで)どうしようもない場合は現地の粗悪燃料を入れても走れるように、ダイヤルでセッティングが選べるようになっています。エンジンが壊れないように、出力を下げてでも走れるようになっているんですね。

室内の足元は金属の板を2段重ねにしています。これは走行中に排気管の熱で靴が溶けてきてしまうのを防ぐためです。エンジンからこの下を通って排気が両脇に出ていくんですけれども、ものすごく熱いので、足元に隙間を作っているんですね。



横開き式のリヤゲートを開けると奥と下に燃料タンクがあります。合計で550リッター入ります。ただもちろん、つねに満タンではなくて、距離とか路面によって燃費が変わるから、それに合わせて燃料の積載量を変えます。スペアタイヤは縦に4本入ります。



おもしろいのは室内のボタンで、走行中のタイヤの空気を、入れたり抜いたりできます。入れる時は下にエアタンクがあって、例えばゴールまであと50kmあるけれど、タイヤがスローパンクしたというときはずっと補充しながら走るということもできます。タンクにエアーが残っていれば。タイヤ交換なしで走れてタイヤ交換のタイムロスによる影響を少なくすることができます。



激痛に耐えながら優勝した2003年



2003年のダカールラリーからスーパープロダクション部門向けに本格開発したプロトタイプの「パジェロエボリューション」を投入しました。このときは最後の最後で大逆転して、2連覇したんですけれども。2位J-P.フォントネ(三菱パジェロ)とは1時間52分差でした。



この年は体を悪くしていました。ダカールラリーって2003年の1月でしょう。その前年の02年7月ごろ、モロッコでテストしていたんです。まだクルマが完全ではなくて仕上げている途中の段階で、ジャンプのテストをしていて、フルボトムでサスペンションが底付きして、それ以上いかない状態になりました。そのときに体の重さがぜんぶ背骨にぎゅーっとかかって、背骨をやっちゃったんです。ジャンプして、まだサスペンションが柔らかかったのかな。



それが本番になっても治らなくて、痛さ、激痛に耐えながら走っていたんです。ブロック注射で2週間に1回ぐらい背骨の間に全部麻酔を打ってね、やっていましたけど。それでも耐えきれずに、途中で日本に電話しました。休息日にふだんかかっている先生に日本から来てもらい、針を打ってもらったんです。それで何とか後半を走りきったんです。まあ、今だから言える話です。

〈文=ドライバーWeb編集部〉

ドライバーWeb編集部

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