2020/11/16 コラム

1996年、唯一の日本人ドライバー片山右京選手のまわりにはいつも笑顔が!【連載第22回目:熱田護のF1勝手に片思い】



1996年の日本人ドライバーは、片山右京選手ただ一人。
引き続きティレルからの参戦です。
マシンはティレル024、エンジンはヤマハ。
前年までのメインスポンサーのNOKIAがいなくなり、チームの経済状況は悪化。
マシンのパフォーマンスも信頼性も厳しいシーズンとなりました。

右京選手は16戦中6戦の完走で、0ポイント。9戦のリタイヤ、1戦失格という成績に終わってしまいました。
チームメイトのミカ・サロ選手は、5ポイント獲得しています。

右京選手の成績が上がらなかった理由はいろいろとあるんですけど、チームとの契約の遅れでドライビングポジションがまったく合わなかった前半戦があって、サロ選手中心のチーム体制になってしまっていたこともあるのかもしれません。



右がケン・ティレルさん、チーム代表。
左がハーベイ・ポストレストさん、テクニカルディレクター。
この2人がこのチームを牽引していました。
小規模なF1チームが生き残っていくのは厳しい時代になってきていました。



ティレルに搭載されたヤマハOX11Aエンジン。
ヤマハとジャッドが共同で開発した革新的なエンジンでした。
小型で軽量(95kg)。他メーカーより群を抜いて軽量だったけれど、新設計のエンジンためトラブルも多かった。
翌年、ヤマハはアローズとともにF1を戦う決断をします。



モナコGPでの右京選手。どこに行っても人気者!



これは、ヤマハ主催のパーティーでの一コマ。笑いの中心はいつも右京選手がいました。



上と同じ会場で、ヤマハのバイクに乗ってデモラン!?
右京さん、確か現在も中型2輪免許しか持ってないと思います…。
僕は大型2輪免許持ってます!
だから、どうというわけではありません(笑)



この年、イギリスで乗っていたスープラ。お似合いですね。



この写真は、たしかスペインGPでの右京選手誕生日セレモニー。
お約束のケーキ顔!
和やかな雰囲気なんですけれど、右京選手は4年間ティレルに在籍しましたが、チームに別けれを告げて翌年はミナルディーに移籍します。

次回は1997年シーズンです。

〈文と写真=熱田 護〉

ドライバーWeb編集部

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