2020/11/05 コラム

偶然か?ホンダF1は東京オリンピックに始まり、東京オリンピックに終わる【1964年特集Vol.27】

前回オリンピック開催年、1964年を振り返る連載27回目は、driver1964年10月号に掲載したホンダF1の初陣に関して。

※該当記事はページ最下部



ホンダF1の初陣は、1964年の第6戦ドイツGP


ホンダF1が初めて姿を現したのは1964(昭和39)年2月。くしくも時を同じく産声をあげたdriver誌は、創刊の4月号からその動向をつぶさに追い続けた。

そして、10月号で“その時”はやってきた。遅ればせながらついに初陣を飾った同年第6戦ドイツGPの特報だ。

じつはひと月前の9月号で、デビューマシンのRA271が見開きのグラビアを飾っている。タイトルは「ホンダF1 ドイツGPで活躍」。しかし、活版の「64年GPレース情報」に割かれているのは、ダン・ガーニー駆るブラバムが優勝した前々戦フランスGPのリザルトだ。ドイツGPの決勝は8月2日で、9月号の締め切りには当然間に合わない。この本が書店に並ぶときにはホンダF1がドイツGPでデビューしていますよ、という意味が込められているのだろうが、ちょっと“釣り”的タイトルではある。

RA271とはどんなマシンだった?


しかし、活版の「ホンダF1西独へなぐりこみ」は読みごたえがある。創刊号から寄稿する神田重巳氏の筆はますます冴え、ヨーロッパGP(イギリス)から3日後の7月14日付けでホンダがRA271を正式発表した顛末、プロトタイプRA270(連載第2回)との相違点などが事細かに報告されている。

3気筒ずつまとめられた集合排気管、インボード式に進化したサスペンションは一目瞭然の進化。だが、「ロータス、フェラーリ、BRMの各64年レーサーにならったジュラルミン製モノコック」(文中より、以下同)に一新しながら、「リヤは相変わらず鋼管スペースフレーム」というボディ構造、また、V12エンジンのVバンク60度や燃料噴射ではなくキャブレターを使用といった点は、写真を元にした氏の推測によるものだ。

そして、10月号。ドイツGPから旬日、編集部に当時提携していたMOTOR誌から30葉近いホンダF1の写真がエアメールで届いた。

「ここしばらく予想屋の楽しみを味わっていた筆者にとって、“カバーを脱いだ”写真は審判にひとしい。けれど、しあわせにも――これまでの推測は外れていなかった」



誌面では前戦ヨーロッパGPのスナップ集に続いて、ドイツGPを疾走するRA271の勇姿、精巧な横置きV12やサスペンションが露わになったベアシャシーなどを、グラビアで展開。ガレージのメカニックは作業帽にツナギ姿で、壁に張り出された紙にはいくつもの点検項目が日本語で列記されている。これが当時のF1の風景だった。













ステアリングを握るのは、この年の第2回日本GP(連載第10回)でチャンスをつかんだ、これもF1ルーキーのロニー・バックナムだ。舞台はニュルブルクリンク。GPコースではなく、世界最長を誇るあの北コースである。GPコースができたのは1984(昭和59)年で、当時は今よりさらに長い1周22.81km。



なんとかたどり着いたドイツGPのスターティンググリッド



バックナム駆るRA271は、すぐに“グリーンヘル”の洗礼を浴びる。

「練習周回中に、エキゾーストまわりをそっくりもぎ取られてしまう。極度に最低地上高が低いので、腹を摺ってしまったのである」

出場資格を得るためには最低5ラップの周回が義務づけられていたが、それをクリアできない。だが、地元ドイツの人気ドライバーが乗る工場レーサーのロータス25も同様で、両者には競技委員会から救済措置として特別の練習時間が設けられる。メカニックの決死の作業が実り、RA271は何とか念願のドイツGPのスターティンググリッドにたどり着いた。

15周の決勝レースは序盤からサバイバルの様相を呈する中で、サーティーズのフェラーリが徐々にリードを広げる展開。

「すでに半数近い車が脱落した中で、ホンダは依然として健在だった。9′20″台のラップタイムは、サーティーズに比べると40秒も遅かった。(中略)ホンダのエンジンも本調子には仕上がっていなかった。それでも、着実に回っていた。2輪レーサーでは有名なホンダの信頼性が、F1 V12にも生かされているかんじであった」

そのバックナムは一時9位まで追い上げたものの、12周目にコースアウト。完走はならなかったが、13位で初陣を終えている。このあと、第8戦イタリアGP、第9戦アメリカGPに出場したが、いずれもリタイヤに終わっている。

初優勝をつかんだのは、翌65年の最終戦メキシコGPだ。マシンは軽量化に腐心したRA272で、参戦2年目の快挙。ドライバーはこの年BRMから加わったリッチー・ギンサーだった。

東京オリンピックに始まり、東京オリンピックに終わるホンダのF1



それにしても、このホンダF1デビューの記事を拙欄で採り上げることは当初からの予定だったが、21年シーズンで参戦終了という10月2日の発表を受けて書くことになろうとは、思ってもみなかった。

その発表直後のGPが、本来2020年のカレンダーに入っていなかったドイツ、しかもニュルブルクリンク(名称は地名をとってアイフェルGP)で開催されたのは、これも何か因縁めいている。さらに言えば、最初の東京オリンピックの年にホンダのF1参戦が始まり、2回目の東京オリンピックが盛大に行われるはずだった2020年に終了の発表をし、延期となった2021年をもってF1界から去るという、これまた何とも不思議な巡り合わせなのである。

その成り行きは、果たして…。東京オリンピック開催の可否は、来年になればわかる。しかし、F1から4度目の撤退をするホンダが本当に戻らないのか、今そんなことは誰にもわからない。

〈文=戸田治宏〉

【driver1964年9月号】




【driver1964年10月号】

ドライバーWeb編集部

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