2020/08/21 コラム

富士スピードウェイはもともと収容人数30万人を想定した「ナスカー・フジ・スピードウェイ」だった!?【東京オリンピック1964年特集Vol.19 その2】

●富士スピードウェイは当初、ナスカー・フジ・スピードウェイとして構想されていた

連載19回、その1(https://driver-web.jp/articles/detail/37963)からの続き

〈該当記事はこちらより〉


さて、もう一つの話題は、「『ナスカー・フジ・スピードウェイ』着工」。言うまでもなく、富士スピードウェイ(FSW)のことである。



拙欄「伊豆スピードウェイ 着工近し」(連載第9回)でも触れたが、FSWは元々アメリカ型のストックカーレース開催をもくろんで構想された。ナスカーとは1948(昭和23)年に設立され、今もアメリカで絶大な人気を誇るあのNASCAR(National Association for Stock Car Auto Racingという主催団体の頭文字)。前年の1963年には日本ナスカー株式会社が発足している。富士スピードウェイ株式会社の前身だ。

「収容人員30万人、レース・トラックは1周4023m、最大31~34度のバンク(傾斜)を有し、ライム・ロックの上に特殊アスファルトで舗装した、ほぼ長円型の5車線のスピードウェイ。時速約320㎞/hは出せるという」(同)

掲載の完成予想図にも描かれているように、当初はまさにアメリカ型のオーバルトラックとして計画されていた。ほかにも遊園地、自動車博物館、ヘルスセンター、ホテル…。敷地内には巨大な人造湖もあり、その上をモノレールが走っている。収容人員30万人! 現在のFSWは11万、総収容人数でも14万とも言われるから、一大レジャーランドとしてじつに壮大な構想だったのだ。

結局NASCARの話はご破算になり、名残の30度バンクがユニークな欧州型サーキットとして1966(昭和41)年1月に開業。以来、長らく三菱地所の傘下にあったが、2000年からトヨタに経営が引き継がれているのは、これも知ってのとおりだ。

そして、その2000年は、トヨタがNASCARに参戦を始めた年でもあった。

〈文=戸田治宏〉

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