2020/08/21 コラム

1994年のF1日本人ドライバー。片山右京、野田英樹の記憶【連載第14回:熱田護のF1勝手に片思い】

1994年、日本人のフル参戦ドライバーは片山右京選手のみとなりました。
日本グランプリ、鈴鹿のピットレーンで行われたチームフォト撮影の場面。
中央の背の高い人が、ティレル創始者のケン・ティレルさん。右手にハーベイ・ポスルスウエイトさん。
その右後ろがヤマハの方々。

白いマシンはティレル022。
このマシンが速かったんです!
結局ティレルで表彰台を飾った最後のマシンになりました。

そのドライバーは右京さんではなく、チームメイトのマーク・ブランデル選手がスペインGPで3位入賞。
右京さんも、F1ドライバーとして一番成績が良かったのがこの年で、5位が2回、6位と7位が1回ずつ。
残り12戦がすべててリタイヤ…。
噛み合っていれば、何度も表彰台のチャンスはありました。

片山右京 F1 1994年

この真っ白なクルマに乗った右京選手に夢託しましたね。
マイルドセブン、カルビー、クラブアングル、などみんな日本スポンサーです。
この写真は、イモラサーキットのアクアミネラーレをゆく右京選手。

片山右京 F1

前年のティレルの成績はノーポイント、13チーム中12位。
でも、うまくマシンができれば、一躍表彰台も狙えるチームにもなれるという時代。
日本人ドライバーが乗り、日本製のエンジンが載った車体。
ワクワクさせてもらいました!

片山右京 F1

走行後、ヤマハのエンジニアと話す右京さん。
右は木村さん、左は青木さん。

片山右京 F1

ガレージ裏でハーベイさんと話す右京選手とブランデル選手。
ハーベイさんは、1999年にホンダのフル参戦を企画したときのテクニカルディレクターを努めた方です。
とても気さくで日本からの雑誌のインタビューなどでも丁寧に答えていたのが印象に残っています。

片山右京 F1

マイルドセブンのコンファレンスだったのか…???
一番右は、現在レッドブルホンダのエースドライバー、マックス・フェルスタッペン選手のお父さん
のヨス・フェルスタッペン選手。
多分、息子さんの方が才能ある感じですね!

片山右京 F1

右京さんが笑いのネタを提供する係でした!

野田英樹 F1

後半の3戦にラルースからデビューした、野田英樹選手。

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ヨーロッパGPの予選24位からレースはリタイア。
日本GPの予選23位から、レースはリタイア。
オーストラリアGPの予選23位からレースはリタイア。

チームの資金難も大きくなっていてチーム力も低下していて、好成績は残せず。
野田選手は次の年もF1のシート獲得に努力したものの実らず、この3戦のみの参戦となりました。
しかし、現在は娘さんの野田樹潤選手がF1を目指してデンマークF4選手権に参戦しています!
こちらは注目です!



このラルースというチームでデビューした日本人ドライバーは、
鈴木亜久里選手、片山右京選手、鈴木利男選手、野田英樹選手になります。
ずっと資金難に苦しんでいた印象で、この1994年を持ってチームが消滅してしまいました。

この年は、他にも鈴木亜久里選手がジョーダンからパシフィックGPに参戦、
井上隆智穂選手がシムテックから日本GPにスポット参戦をしていました。

次回も1994年シーズンです。

〈文&写真=熱田 護〉
●F1とともに世界を転戦するフォトグラファー。そのファインダーは極限の世界で巻き起こるドラマを捉え続ける。本誌driverでも「F1 FOCUS」を連載。写真集「500GP」も発売中

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