1994年というと、何をどう思い返してもセナ選手のことを考えてしまいます。
僕が本格的にF1の写真を撮っていくのだと決めて3年目、撮影の中心はアイルトン・セナ選手と決めていました。
報道的な写真(スタートとか表彰台など)はもちろん仕事として撮影しますし、雑誌などの企画に則した撮影ももちろんします。
でも、このコラムのタイトルにもなっている「勝手に片想い」という気持ちが入らないと撮影のモチベーションが続かないんです。
みなさんが考えるイメージと少し違うかもしれませんが、このF1撮影という仕事は、長時間の移動のストレスや莫大な経費の捻出など、マイナスの気持ちに陥ってしまう要素はいくらでもあります。どんなに大好きな世界でも、回数を重ねれば必ず飽きてきます。
わかりやすく言えば、「あ〜もうやってられない、こんな思いしてやるのは嫌だ!やめちゃお〜」ということ。
僕個人の考えですが、大好きなモータースポーツで、写真を撮り続けるには、高いモチベーションを保つ事が一番大切。そのモチベーションを保つのに、一番いい薬が、大好きな選手を見つけて「勝手に片想い」してその選手中心に撮影スケジュールを組む。
そうすると、楽しさが持続できるんですね。
成績がよければ、僕も楽しい、リタイアすれば悔しい、そう、ファンになるということです。
この当時は、その対象がセナ選手でした。
セナ選手が乗りたくて、どうしても移籍したくて、やっと手に入れたウイリアムズのシート。
そのセナ選手の初乗りの様子を撮りたくて、確か2月のポルトガルテストに行きました。
3〜4日間のテストで初日がロスマンズのフィルミングデイ、そのときの写真です。
赤いマルボロのスーツから青いスーツになって心機一転。
上の写真ではショウエイのヘルメットを持っていますが、走行で一度被ってからはベルヘルメットに変更してました。
日本との関わりが減っていくみたいで、現地で少しさみしかったのを覚えています。
セナ選手が、やっと手に入れたこのシート。
このとき走行したマシンは、前年まで無敵を誇っていたマシンからアクティブサスペンションを外したマシン。
レギュレーションの変更により、ウイリアムズの大きな武器であったアクティブサスペンションが禁止されてしまったのです。
このマシンで、あまりいい感触が得られず何度かスピンしていましたし、ガレージでエンジニアと真剣に話し込む時間が長かったのを覚えています。
ルノーV10エンジン。
圧倒的なパフォーマンスを発揮していました。
チームメイトはデーモン・ヒル選手。
開幕戦、ブラジルグランプリ。
新車FW16は、やはり昨年までのスピードを維持できていませんでした。
ハンドリングに悩んでいるコメントが残されています。
ポールポジションを獲得したものの、スピンしてリタイア。
優勝は、ミハエル・シューマッハ選手。
第2戦は、パシフィックグランプリ。
TIサーキット英田で行われ、またしてもポールポジションを獲得するけれど、スタート直後の1コーナーでコースアウトリタイヤ。
優勝はシューマッハ選手。
第3戦のサンマリノグランプリでもポールポジション。
7周目に左高速コーナーのタンブレロでコースアウト。その後、病院に搬送されて死亡。
優勝はシューマッハ選手。
アイルトン・セナ選手がレース中の事故で亡くなる。
ニュースは世界中を巡ります。
サンマリノグランプリ後に、僕は日本には帰国せず、ルマン24Hのテストに行ってました。
フランスの新聞もテレビもセナのニュースは大きく取り上げていましたが、実感として持てていませんでした。
第4戦モナコのレース前。通常のポールポジションの2つ前にセナ選手のブラジル国旗、
その後ろに同じく亡くなったローランド・ラッツエンバーガー選手のオーストリア国旗が描かれていて、
スタート前に黙祷が行われました。
このモナコにきて、セナ選手がいないということを実感として理解できた記憶があります。
悲しかったですね。
本当に悲しかった。
できれば、もう少しセナ選手のレースを撮りたかった。
本当に悲しかった。
モータースポーツというものは、ゴーカートからオートバイ、4輪であろうとすべて高性能の機械を使って
高速に移動するもの、そして競争する。
図らずもいろんな原因で事故に発展することも少なくない。
その様子がモータースポーツの一部であることも事実でドラマを生んでいることも確か。
歴史を見れば、事実としてこれまで多くのレーシングドライバー・ライダーの命が奪われています。
しかし、戦っている選手の命を奪うようなことにならぬよう極力努めなければならないと思う。
現代になって、マシンもサーキットも飛躍的に安全性が増しました。
けれど、世界中のサーキットから死亡事故というニュースは完全になくなることはないでしょう。
多くの人に感動や楽しみを与えることができるモータースポーツ。
いつの間にか、忘れがちですが、選手に対する尊敬を忘れてはいけないとそう思います。
できれば、もう少しセナ選手のレースを撮りたかった。