2020/08/07 コラム

ホンダF1の初代監督、中村良夫さんとの思い出「あのマルボロはどこへ」【連載第12回:熱田護のF1勝手に片思い】

●ホンダF1の初代監督、中村良夫さん

1993年の3回目。

この方をご存知でしょうか、ホンダF1の初代監督の中村良夫さんです。

僕は当時F1速報誌GPXの契約カメラマンとして仕事をさせていただいていて、中村さんとF1界の著名人を尋ねるという企画の撮影をしていました。ヨーロッパラウンドの合間に、イギリスロンドンではジョン・サーティースさんのご自宅に行って対談、FIA会長のオフィスに行きマックス・モズレーさんとの対談、ロータスの本社にも行きました、コリン・チャップマンのお墓にご挨拶。フランスでF1カメラマンのベルナール・カイエさんとの対談、ギ・リジェさんとの対談、イタリア、フェラーリ社に行ってルカ・モンテゼェモロさんとの対談など…もちろんカメラマンとしてお供したのですが、その旅の間、僕がレンタカーの運転手、中村さんが助手席、ライターの柴田さんが後席という定位置で車中での話に花が咲き、途中のレストランで雑談をしながら思い出話。

それはそれは楽しかった、中村さんのまったく偉ぶらないその雰囲気に心底ファンになりました。

中村さんは戦時中、中島飛行機に入社して陸軍航空研究所に属し、零戦や爆撃機「冨嶽」のエンジンなどの設計、開発に携わりました。

イタリアのメントンという港町で僕と二人きりになった夜、ご飯は中華でした。

僕は戦闘機が超好きなので、質問ばかりしてました。そんなぺいぺいのカメラマンに、いつも「熱田さん」とさん付けでニコニコしながら丁寧に応えてくれます。

「冨嶽のエンジンの設計は出来ていて試作もできていた、でも肝心の燃料の質が悪くて実験もままならなかった」
「誤解を恐れず、真面目にお話をすれば、エンジニアとして物を作り出す環境として当時非常にやりがいのある仕事でした。予算や材質など最高の物を好きなだけ使って、敵を倒すという明確な目標のために、ひたすら最高の性能の武器を設計し作り出すという環境にいたわけです」

など、酢豚をつつきながら、中村さんのマルボロをいただきつつ話したのは忘れられない。

本田宗一郎さんとは、やっぱりウマが合わなかったようですね。F1の色々な技術的な方向性の考えの違いに対立したことは確かで、「まったく、もう…」という感じでした。

でも、ほとんど経験のないホンダという日本の小さな会社が、1964年から自社製の車体とエンジンで参戦しヨーロッパの自動車レース最高峰に挑戦。2勝を得たという事実だけでも素晴らしい結果を残したわけで、その苦労は計り知れないものがあったわけです。

その中心にいたのが中村さんでした。
もっと、話を聞いておけばよかった。。。

中村さんは1994年の12月に亡くなりました。

その少し前、慶應病院にお見舞いに行ったとき、小銭を渡され「マルボロを買ってきてください」と頼まれ、いやそれはダメでしょ!と断ったんですけど、「いやいいんですよ、お願いします!」とその笑顔で言われてしまい、一箱買ってきました。

「ありがとう!隠しとかなきゃダメですね」と、また笑顔。
あのマルボロはその後どうなったのだろう。

中村良夫 ファン・マニエル・ファンジオ

これは、僕の写真ではありませんが、なぜか僕の写真の中に紛れ込んでいたので紹介します。

中村さんと一緒に写っているのは、ファン・マニエル・ファンジオさん。場所は、アルゼンチンのファンジオさんのオフィス前だと思います。ファンジオさんは5度のワールドチャンピオンです。中村さんがどうしても会っておきたいからと実現した対談だったそうです。

中村さん、当時のF1の変容に将来を心配していらっしゃいました。
人間味が失われていってしまうスポーツに未来はあるのかと…

今のF1は、どうなんでしょうね?

きっと、怒るのかな???だろうね…でも、自動車の競争は大好きだから、見てくれているとそう信じてます。

「熱田さんは、自動車の運転は上手だね!」と言われたことが自慢です。
写真は?

「それは、どうでしょう?」

素晴らしい思い出です。

片山右京 ティレル

片山右京選手、2年目は名門ティレルに移籍。エンジンはヤマハ。キャビンが応援。しかし、車体もエンジンもパフォーマンス不足でノーポイント。完走することもままならぬシーズンでした。

片山右京

右京さん!
普通なら緊張するプレスコンファレンスで、ジョーク連発!
部屋中大爆笑でした。
セナさんもいい笑顔です!
確かこのときだったか、レジェンドドライバーのラウダさんと蛇の話だったような気がします。

右京選手の人柄がどんどんF1パドックに浸透していきます。

スパ・フランコルシャン

スパフランコルシャンの朝のセッション。
右京選手の後ろにはセナ選手。

次回は1994年シーズンにいきたいと思います。

RELATED

RANKING