2020/07/21 モータースポーツ

アレッサンドロ・ザナルディの無事を祈って…1993年の記憶【連載第11回:熱田護のF1勝手に片思い】


1993年、2回目です。

これは、ベルギーグランプリのスタートシーン。

ウイリアムズの後ろにセナ選手とアレジ選手、その後ろに鈴木亜久里選手が自身予選最高位の6番グリッドからスタートしています。

亜久里選手は、この年もマシン不調でリタイアが多くノーポイントとなってしまいました。

しかも、フットワークがシーズン終了後にチーム運営から撤退してしまい亜久里選手は翌年のレギュラーシートがなくなってしまいました。


アレッサンドロ・ザナルディ選手。

一緒に話をするのは、当時のロータスチームの監督のピーター・コリンズさん。

ザナルディ選手のF1参戦は1991年のジョーダンで3戦、1992年のミナルディーで3戦、そしてこの1993年にロータスからフル参戦。ですがベルギーグランプリのフリー走行で大クラッシュして負傷しました。11戦の参戦、翌1994年途中から復帰するものの不振に終わり…。その後はアメリカのカートシリーズに参戦し、1997、1998と2度チャンピオンを獲得、その後F1のウイリアムズに復帰するものの成績は低迷。

結局F1での好成績は記録できませんでした。

その後、再びアメリカのカートシリーズに参戦した時に大クラッシュし、両足切断という事故に遭います。

その後もWTCCなどで活躍し、ハンドサイクリング競技のパラリンピックで金メダル獲得などの活躍で多くのファンがいたザナルディ選手。

昨年の富士スピードウェイのDTMとSGTの交流戦でもBMWで参戦していたので僕も久しぶりにお姿拝見しました。今年の6月19日にイタリアでハンドサイクリングの競技中に事故に遭い重傷を負い、現在も治療中です。

こんなに大きな事故を何度も経験し、その度に復帰して大活躍をする人を他に知りません。

再び元気な姿を見せてくれると信じて待ちましょう。


ロータスに乗るジョニー・ハーバード選手。カナダグランプリです。

ハーバード選手は、陽気で明るくジョーク大好きな人柄。

僕もファンでゴーカート用のヘルメットはハーバードレプリカカラーにしていました。


ファブリッツオ・バルバッツア選手。

日本のF3000にも参戦していました。

スピードがある選手ではありませんでしたが、この年ミナルディーで参戦した前半戦の8戦でなんと幸運にも2ポイント(6位入賞を2回)を獲得するという活躍を見せるけれど、契約金問題でシートを失ってしまいました。

現在は、しっかりとした成績を積み上げて運にも恵まれて、やっとたどり着くF1ドライバーのシートですが、当時はそこそこの運転技術と経験とコネ、そして持ち込むお金があれば参戦も可能でした。

どちらがいいかわかりませんが、面白味という側面だけ見れば、当時のほうが幅があってよかったかも???


ミナルディー、クリスチャン・フィティパルディー選手。

イケメンで血統書付き。

この年、5ポイントを獲得しランキング14位。


上のバルバツア選手と入れ替わりに、ミナルディーのシートに収まったのは、ピエルルジ・マルティーニ選手。

グリッドで傘をさすのは、チームオーナーのジャンカルロ・ミナルディーさん!


ルカ・バドエル選手。

スクーデリア・イタリアからF1デビュー。チームメイトのミケーレ・アルボレート選手と互角以上の働きをしたものの上位チームへの移籍は叶わず。

その後、ミナルディーに乗ったりして、長年フェラーリのテストドライバーを勤め上げる。

イタリア人ドライバーらしく、イタリアのチームのみに所属したドライバー。


モナコのトンネルの出口。

大好きな撮影ポイント。

 

次回は、1993年の日本関係のお話を書きたいと思います。

〈文&写真=熱田 護〉

熱田 護 Mamoru Atsuta
●F1とともに世界を転戦するフォトグラファー。そのファインダーは極限の世界で巻き起こるドラマを捉え続ける。本誌driverでも「F1 FOCUS」を連載。写真集「500GP」も発売中

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