2020/06/19 コラム

和製アルファロメオの異名をとった、いすゞ ベレットGT【東京オリンピック1964年特集Vol.12・その1】

前回東京オリンピック開催年、1964年を振り返る連載12回目は、driver1964年6月号に掲載された2台を取り上げる。まずその1として、「いすゞ ベレット1600GT」についてだ。

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■ライバルは、コロナやブルーバード

1964(昭和39)年のdriver6月号では、その4月に発表・発売された日本車も誌面を飾っている。

それは、いすゞ ベレットGTだ。


●ベレットのスタイリングは卵の殻をモチーフにデザインされた。車名は上級車ベレルの小型版を意味する造語。4月のデビュー時、フロントブレーキはまだドラムだった。写真は1964年当時のカタログ

ベレットは前年の1963(昭和38)年、まず1.5Lガソリンと1.8Lディーゼルを搭載して4ドアセダンがデビューした。


●1963年にデビューしたベレット1800ディーゼル(当時のカタログより)

いすゞは1953(昭和28)年から、英ルーツ自動車のヒルマンミンクスをノックダウン生産。量産車のノウハウを蓄積し、1961年には初の自社開発乗用車ベレル(連載第4回に登場)を完成させた。それに続き、ミンクスの実質的な後継車として開発されたのがベレットだ。現在のミドルクラスにあたるモデルと言っていい。

いすゞ自動車はトラック・バスのメーカーとして1937(昭和12)年に設立。そこに至る経緯は複雑だが、公式ウェブサイトによれば、東京石川島造船所や東京瓦斯電気工業などの前身を含めると1916(大正5)創業で、現存する国内自動車メーカーでもっとも古い。

ベレットは当時まだ珍しかったラック&ピニオン式ステアリング、4輪独立懸架サスペンション、4速フロアMTなどを採用。トヨペット コロナ、日産ブルーバードなどに対抗する後発モデルとして、走りのよさを前面に押し出していた。


●デビュー時のフロントグリルはまだセダンと共通のイメージだったベレット1600GT。1966年のカタログより

●ベレット1600GT。1966年のカタログより

そして、1600GTが登場。いすゞは前年の全日本自動車ショー(現在の東京モーターショー)に、プロトタイプとしてベレット1500GTを出品していた。実際に発売された1600GTは、OHVエンジンの圧縮比アップやSUツインキャブ装着といったチューニングメニューこそ変わらないものの、排気量アップによって動力性能は80馬力・11.3kgm(ノーマルの1.5Lは63馬力・11.2kgm)から88馬力・12.5kgmに高められていた。最高速は160㎞/h。セダンより全高が40㎜も低いクーペボディも、高速時代の到来にふさわしい高性能をアピールするのに十分だった。


●コックピットはナルディタイプのステアリング、センターコンソールの計器パネルが大きな特徴。1966年のカタログより

●ベレット1600GT。1966年のカタログより

■日本初!を争ったベレットGT

「GT」といえば、まさに同じ時期、プリンス自動車が第2回日本GPに送り込んだホモロゲーションモデルもスカイラインGT(連載第6回に登場)を名乗った。どちらが日本車のGT第1号かという話題になるが、これについては、発表は「スカG」が早く(3月14日発表・5月1日発売)、発売は「ベレG」が先(4月6日発表・発売)という結論に落ち着く。


●プリンス・スカイラインGT

ちなみに、同年9月にはバリエーションの拡大とともに、ベレットGTはフロントにディスクブレーキを採用。これがのちに、もう一つの論争の種になる。同じ9月に登場した日野コンテッサ1300クーペとの、「どっちが日本初のディスクブレーキ採用車か?」問題である。これについてはコンテッサが9月1日発表、ベレットは同月18日で、コンテッサのほうが半月ほど早いというのが筆者の見解。


●ベレット1600GT。1966年のカタログより

卓越したシャシーにハイパワーがドッキング、さらには欧州調の流麗なスタイリングと相まって、ベレGは「和製アルファロメオ」の異名さえ取り、スポーツモデルとして地位を確立。60年代のモータースポーツでも大活躍を見せた。後継はベレットジェミニだ。


●ベレット1600GT。1966年のカタログより

〈文=戸田治宏〉

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