2020/04/27 モータースポーツ

アイルトン・セナが僕をF1にのめり込ませた【連載第1回:熱田護の勝手に片思い】

はじめまして。カメラマンの熱田です。

少し自己紹介します。
F1には1991年に6戦、1992年からは全戦取材しています。去年のベルギーGPに500戦取材を迎えました。

これから、僕の古い写真で思い出深いものを、思い出含め書いていきます。
第1回はセナ選手について書いてみたいと思います。


自己紹介で1991年からと書きましたが、僕のF1初体験は1987年の日本グランプリからの鈴鹿でした。

上は、そのときの写真です。

そのころ僕は2輪のレースのカメラマンをしていて、まだF1にはほとんど興味ありませんでした。そんななか、鈴鹿サーキットのオフィシャルカメラマンとして撮影したものです。

このときは、キャメルロータスのセナ選手。よく見るとバイザーをおさえるゴムパーツが切れていたりします。

もちろん、その当時もトップドライバーなのに、こんな状態のヘルメットを使っていたことにビックリします。


2輪のレースカメラマンからF1に撮影のフィールドを移そうと考えていた1991年の開幕戦アメリカGP、フェニックス。

パルクフェルメで優勝したセナ選手。

ものすごく喜んでました。


1992年、モナコGP。

早朝の朝陽の照らされるマクラーレン。

ゼッケン1にホンダマーク。

セナ選手と一緒に勝ちまくった第3期のホンダF1。

でも、この1992年は、ホンダ3期の最終年でウイリアムズルノーのマンセル選手が圧倒的に速くてセナ選手は3勝しかできずランキング4位でした。

でも、ホンダV12は素晴らしい音していました。


1992年からF1全戦取材を始めて、セナ選手を中心に撮影することにしました。

僕は、ドライバーとかライダーに勝手に片思いしてその選手を中心に撮影することにしています。

セナ選手に決めた理由は、もちろん速かったし、絵になったし、やっぱりその雰囲気がよかったからでしょうか。

セナ選手のおかげで、F1の撮影に没頭できました。


1992年ベルギーGP。

1コーナーのアウト側のマーシャルポストの脇からローアングルで撮らせてもらったカット。今は、ここからは当然撮らせてもらえません。

古き良き時代です。

安全対策が進み、写真を撮れる場所と、マシンが走る場所の距離は遠くなるばかりだし、撮影禁止のエリアは増える傾向にあります。

まあ、致し方ないです。

マシンの形も、現在と比べるとシンプルです。マルボロロゴもやっぱりかっこいいですよね。

いい時代でした!

〈文&写真=熱田護〉

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