2020/04/24 コラム

5代目の影に隠れた名車…最後のFRとなったファミリアの記憶

ファミリア、といえば5代目ではあるが

「マツダ ファミリア」。――その車名はイタリア語の「家族」の意。家族そろってドライブへ行くという想いを込めて命名されたという。そして、その歴史は、のちに “マイカー元年” と呼ばれる1966(昭和41)年にそろって登場した日産サニーやトヨタ カローラよりも古い。


●初めての愛車がファミリアだったという人も少なくないはず

初代は1963(昭和38)年9月、まず商用貨物車(ファミリア800バン)として登場。翌64年にセダン、65年にはクーペも加えラインアップを拡大。以後、マツダの中核モデルとして進化と変化を続け、2004(平成16)年4月、9代目を最後に40年の歴史に幕を下ろした。


●裏返しのトレーナーにパームツリー…陸サーファー御用達の「赤のXG」。当時価格は103万8000円。ちょっと頑張れば若者にも手が届いた

ファミリア40年の歴史で最大のヒット作といえば、やはり1980(昭和55)年登場の5代目FF。当時を知る人であれば、これに異論はないはず。赤のボディカラーに電動サンルーフ、ラウンジソファーシートを備えた3ドア1500XGが象徴だった。

そのイメージがあまりに強いので、「ひとつ前」と言われてもカタチがピンと思い浮かばないかも? その4代目…最後のFRファミリアもまた、歴代モデルで欠かすことのできない1台だ。


●先代は3代目と言っても実質2代目(67年発売)のビッグマイナーチェンジ版。ライバルと比べてデザインやパッケージングは古く、モデルチェンジは急務だった

4代目は国産初の4ドア+ハッチバック

4代目は1977(昭和52)年1月に「ファミリアAP」として登場した。ボディ形状は、それまでの4ドアセダンを軸としたノッチバックから、大きなグラスエリアの2ボックスハッチバックへと一新。これは、初代VWゴルフ(74年)を機に、欧州で主流になりつつあった小型車のトレンドを取り入れたことから。欧州では「マツダ323」、アメリカでは「マツダGLC」の名で発売された。そのスタイリングに、先代「ファミリアプレスト」(73年〜)の面影はない。


●ボンネットフードまで回り込んだ大型の縦桟グリルはコスモAP(75年)、小ぶりでシンプルなテールレンズはグラフィックも含め、どこかサバンナRX-7(78年)っぽい

●ハッチバック開口部の小ささに時代を感じる。鮮やかなシグナルトーンは「グランプリレッド」、「ヨークイエロー」、「マスカットグリーン」

開発テーマに、新世代の価値観に応える4つのNew(ファッション・ユーティリティ・エコノミー・クオリティ)を掲げた4代目。3ドアと5ドアを設定し、後者は当時、国産乗用車初の4ドア+ハッチバック車だった。ボディカラーには、当時欧州で流行した「シグナルトーン」3色を含む全7色を用意。


●左右2分割の後席は最上級グレードのスーパーカスタムのみ。カタログもユーティリティ性能を前面に打ち出した

●オプションでつり下げタイプの「パイオニア・コンポーネント・カーステレオ」ほか、オリジナルの水筒やパラソル、サンバイザーにチェア、ハッチバックテントにクックセットまで用意

●コスモAPと同じ(5リンク)リヤサス形状と後輪駆動の素直な操縦性を売りとした。4.4mの最小回転半径は今の軽自動車でも小さなほう

一方、パワートレーンは基本先代からの流用。駆動方式はFRで、エンジンは希薄燃焼方式の採用により51年排ガス規制をクリアした直4OHC・1300cc のTC型(グロス72馬力/10.5kgm)を搭載。

ちなみに発売当初、カタログに車名と併記されていた「AP(Anti-Pollution=公害対策)」の文字は翌78年(1400ccエンジン搭載車追加)から消え「ファミリア」のみとなった。

劇中でも準主役的存在として活躍

1970年代のマツダ。以前は “夢のエンジン” とも呼ばれ一時フルラインアップ化をも進めていたロータリーエンジンは、オイルショックを機に燃費の悪さから不経済車のレッテルを貼られてしまう。レシプロエンジン車もまた、そのイメージに引っ張られるかたちで極度の販売不振に陥っていた。リアルに会社存続の危機…。

量販を見込めるファミリアのフルモデルチェンジは、絶対に失敗は許されない。とはいえ潤沢な開発資金はない。基本コンポーネントの多くを先代から流用したのはそのためだろう。続く5代目ほどではないが、4代目も期待に応えるセールスを見せた。


●劇中に登場する5ドアスーパーカスタムの価格は86万円。若い工員の退職金でも買えるという安価さも暗示していたのかも

「赤いハッチバックのファミリア」。そのイメージは前述の5代目ではなく、この4代目のほう!という人も少なくないかも。4代目の発売と同じ1977(昭和53)年に公開された映画『幸福の黄色いハンカチ』では、武田鉄矢演じる「花田欽也」の愛車としてスクリーンに登場。最後まで主人公をつなぐ準主役的な存在として活躍した。

恋人にフラれ ヤケを起こした花田は、勤めていた工場を突然辞めてしまう。その退職金で新車の真っ赤なファミリアを買い、ひとりフェリーに乗り北海道へ旅立つ。網走でナンパに成功した朱美(桃井かおり)、そして網走刑務所での刑期を終えた島勇作(高倉健)との奇妙な出会いの末、島の妻(倍賞千恵子)が待っているであろう夕張まで共に旅をするというストーリー…。


●何せ国産初の4ドア+ハッチバック車ですから

ここで疑問…というより「たぶんそうかも?」と思うのは、劇中車の設定。東洋工業(現マツダ)が協力していたので新型ファミリア推しなのは当然。でも、ナンパ目的の傷心旅行であれば3ドアで十分なはず。そこであえて5ドアとしたのは、優れた後席乗降性をアピールしたかったのではないか。3人が中心の物語。後席に座る「健さん」がいちいち腰をかがめて前ドアから降りてくるのではサマにならない。

そしてボディカラー。シグナルトーンのなかでもグランプリレッドを選んだのは、続く5代目への布石ではなかったのか? 何せ、日本映画賞を総なめにした作品。広く「ハッチバックの赤いファミリア」を印象づけるには十二分な効果があったはず。


●黒バンパーとその上に配したガードデッキがXGの特徴。革巻き風ステアリングはサバンナRX-7と同意匠

翌年に5代目の登場を控えた1979(昭和54)年4月。4代目は最初で最後のマイナーチェンジを実施。角形ヘッドライトを採用し、顔つきの印象を大きく変えた。さらに3ドアの1400ccエンジン搭載車へ、バケットタイプの前席や革巻き風ステアリングなどを装備したスポーティ仕様の「XG」を追加設定。これがのちに大きく開花する「赤のXG」の起源となる。


●今や「ファミリア」、その後継となる「アクセラ」の名前までなくなってしまったのはちょっと寂しい

日本の自動車史に「名車」として名を残す5代目FFファミリア。その陰で、販売時期こそ3年半と短かったが、確かに “次” につながるきっかけを残した最後のFR。当時は「ダサいなぁ」と思えたスタイリングも、今あらためて見てみると、なかなか味わい深い。

ブランド独自性を鮮明にすべく、現在車名の世界共通化を進めているマツダ。いっそ次のコンパクトカーは後輪駆動に回帰なんて手もアリ!?なのではないか。

〈文=driver@web編集部〉

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