2020/04/22 コラム

マツダのロゴ、なぜ「d」だけ大文字の「D」なの!?【マツダエンブレムの変遷】


●現行マツダ3のマツダエンブレム

マツダ3を筆頭にデザイン、テクノロジーの両面で攻めの姿勢を崩さずに魅力的なモデルをリリースし続けるマツダは、今年の1月に創業100周年を迎えました。1920年(大正9年)にコルクを生産する会社、東洋コルク工業株式会社(後に東洋工業株式会社→マツダ株式会社)として創立。当初は自動車メーカーではありませんでした。初代社長の名前はマツダさんではなく海塚新八氏。そしてこのコルク会社で自動車生産にチャレンジしたのが2代目の社長、松田重次郎氏です。

1931年に松田氏のチャレンジの結晶として生まれたのが小型3輪トラック(DA型)で、この記念すべき最初のモデルは社長の姓にちなんで「マツダ号」と名付けらます。ここから今に続くマツダの歴史がはじまります。ちなみにこの名前、MATSUDAではなく「Mazda」と表記するのは、ゾロアスター教の最高神、光の神“Ahura Mazda”に由来しているそうです。

今回は日本最大級の展示台数を誇る石川県の日本自動車博物館が所蔵しているマツダ車のエンブレムを主に眺めながら、100年という時の流れを振り返ってみます。

(なお記事中の年式、スペック等は博物館の資料によるもので、一部※でマツダ株式会社の公式ページの情報を加えてあります)

マツダGB型三輪トラックのロゴデザイン


●1936年から使用されているマツダのシンボルマーク

戦前に発売されたDA型から三輪トラックの改良を加え続けてきたマツダが戦後すぐに生産を再開させたのがGA型、そのGA型をベースに開発されたのがGB型です。水平に描かれた3本の線が途中でMの字を描くマークは1936年から使用されているもので、片仮名で描かれたマツダの文字と組み合わせて使っています。またタンクに描かれたMazdaのロゴはMの字が大文字です。ちなみに東洋工業は戦前、すでに「Mazda」の商標登録をすませていました。


●マツダGB型三輪トラック

1950~60年代
三輪トラックのロゴデザイン


●1957年マツダ三輪トラックのフロント部に配されたマツダのロゴデザイン

●平板なフロントウインドーと左右に回り込んだウインドーを組み合わせたデザインが特徴的な1957年マツダ三輪トラックCHATB型バーハンドル車(2名乗車 3速MT)。4255×1804×1905mm、空冷2気筒OHV 1399cc 42ps/3500rpm、9.7kgm/2600rpm(写真の1番手前)

●1959年に発売開始された三輪トラックT1500型のロゴデザイン

●ラウンドしたフロントウインドーとドアの三角窓に進化を感じるマツダ最後の三輪トラックT1500型。5120×1840×1920mm、水冷4気筒OHV 1500cc 60ps/4600rpm、10.4kgm/3000rpm(写真 ドアに自家用と書かれた手前の車)

1950年代の3輪トラックには三角形を組み合わせたような文字でデザインされたマツダロゴが多く見られ、当時のカタログにも同じロゴが使用されています。その後1959年に発売を開始したT1500型トラックには別のロゴが採用されます。また、この時期には後に紹介する小文字の「m」を図案化したマツダのシンボルマークもすでに登場しています。

1950年代~60年代の高度成長期はバイクのようなバーハンドルから現在と同じような丸ハンドルへの変更や3輪から4輪への移行などトラックの世界が大きく変化した時代でもあり、T1500はマツダ最後の3輪トラックとなりました。

4輪車の時代


●1959年に登場したマツダの新しいシンボルマーク

1959年、マツダは小文字の「m」を図案化したシンボルマークを採用します。その翌年にはマツダ初の軽乗用車R360クーペを発売。続いて1961年には軽4輪トラックB360を発売します。下の写真のようにR360クーペは大文字の「MAZDA」、B360は小文字で「mazda」と描かれています。もちろん当時も決まったマツダのロゴはありましたがボディに描かれる際には、企業イメージの統一よりクルマのデザインに合わせさまざまなデザインのロゴと丸いシンボルマークの組み合わせが多くのモデルに用いられていたようです。


●1960年の登場したマツダ初の軽乗用車R360クーペのフロント部

●1961年に登場した軽4輪トラックB360のフロント部

ロータリーエンジンの登場


●1967年に登場した国産車初のロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」

マツダは1967年に国産車初のロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」を発売します。以降ロータリーエンジンは同社の高い技術やオリジナリティを象徴する重要な存在となりました。当然そのイメージはクルマのエンブレム等にも反映され、コスモスポーツをはじめマツダの様々なモデルのロータリーエンジン搭載車には1959年から使用している丸いシンボルマークとロータリーエンジンの主要パーツのひとつ、おむすび型のローターを模した三角形を組み合わせたデザインのものが使用されています。


●マツダの丸いシンボルマークとおむすび型のローターを模したエンブレム(コスモスポーツ)

●こちらは1970年に登場したカペラロータリークーペのエンブレム。やはり丸とおむすび型を組み合わせたシンボルマークが使われています

●レシプロエンジン車には従来からの丸いシンボルマークが使われています(1968年発売のポーターバン/写真は1972年型)

●1990年に登場した3ローターロータリーエンジン搭載のユーノスコスモには、1989年に創設された新チャンネル「ユーノス」の丸いマークとおむすび型を組み合わせたエンブレムが使われました

新時代のシンボルマークが登場した1975年


●1975年から使われているシンボルマーク(写真は1975年に発売されたコスモ)

1975年にマツダはCIシステムの導入を開始し、それに合わせ企業シンボルマークは「mazda」という綴りそのものがデザインされたものとなります。アルファベットの小文字を使用しながらも「D」だけを大文字として天地の凹凸を避けたすっきりとしたデザインとなっているのがわかります。この基本的な組み合わせはわずかに変更された現在のロゴにも生かされています。

なおプロ野球 広島東洋カープのヘルメットが赤くなったのも、はじめてのリーグ優勝を果たすのも1975年です。


2代目サバンナRX-7(FC3S型)のシンボルマークは金属や樹脂のパーツを使わずボディに貼られたステッカーもしくはエンボス加工のみで表現されていました。また、ロータリー搭載車でありながらおむすび型をモチーフにしたデザインは使われませんでした。

1997年、これからのマツダを
予感させるシンボルマークの登場


●1997年に登場したブランドシンボルマーク


現在のマツダのシンボルマークと企業ロゴ。1975年に登場したmazdaの文字と1997年に登場したMをモチーフとしたシンボルマークを時代に合わせリファインしたものが現在の姿です。

100年の歴史をシンボルマークやロゴの写真で振り返ってきましたが、現存している当時の車を見るとボディデザインやエンブレムの質感などにマツダが歩んできた時の流れを一層強く感じます。敗戦後我が国の復興を担ってきたトラックや高度成長期やバブル期に我々の生活を彩ってきたクルマ。そして最新のクルマ。自動車社会の発展とともに我々の生活があったことや、これからもそうあり続けるであろうことをクルマに配された続けた小さなエンブレムに感じることもまた楽しいものです。


●マツダの創業100周年を記念して制作された「100TH ANNIVERSARY LOGO」はマツダの公式サイトよりダウンロードできます

https://driver-web.jp/articles/detail/omoshiro/28402/

今回掲載したエンブレムの大半を撮影した「日本自動車博物館(石川県)」、そして本家マツダの「マツダミュージアム(広島県)」は、どちらもクルマ好きにはとても魅力的なミュージアムです。新型コロナ感染症の流行により外出もままならない2020年の春ですが、収束後に足を運んでみる計画を今から立ててみてもいいかもしれません。

※原稿執筆時点(2020.4.22)で日本自動車博物館は5月6日まで、マツダミュージアムは6月30日までの休館が発表されています。今後さらに変更の可能性もありますので両ミュージアムについての詳細は各々のウェブサイトでご確認ください。

〈文&写真=高橋 学〉

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