2020/03/11 コラム

コスモスポーツ。1人の宇宙好きデザイナーが車名決定に深く関わった【車名の由来Vol.008】

2ローター以上のロータリーエンジン搭載車として世界初の称号を得たのがコスモスポーツだ。


●全長×全幅×全高は4140mm×1595mm×1165mm。エンジンは491cc×2ローター(110ps/13.3kgm)。価格は148万円(コスモスポーツ・4速MT)

1959年12月にドイツのNSU社はバンケル社と共同でロータリーエンジンの開発に成功。マツダ(当時は東洋工業)は松田恒次社長自らがドイツに赴き、1960年10月に両社と技術提携交渉を行い仮契約を締結(正式契約は1961年2月)、新エンジンの研究開発がスタートした。日本政府の正式認可は1961年7月だった。

通常のレシプロエンジンはピストンの上下運動を回転運動に変えて動力を得ているが、ロータリーエンジンは回転体の回転運動がそのまま回転軸に伝達される仕組み。動力損失や振動が少なく、部品も簡素化でき、軽量・コンパクトにできるという理論的にはいいことずくめのエンジンだ。しかし、未解決の問題も多く、実用化には至っていなかった。その最たるものが通称“悪魔の爪痕”で、連続試験をしているとハウジングの内壁に波状摩耗が出現するのだ。


●写真はトレッドとホイールベースを拡大した1968年の改良型。ロータリーエンジン市販車としてはドイツのNSUスパイダーが世界初だが、マルチローターではコスモスポーツが初

マツダはトラックから乗用車への展開を考えており、その将来性に着目した。もともと新エンジン専用のテストカーとして開発されたのがコスモスポーツで、エンジン試験や高速での車両の機能などを検証する重要な役割を果たした。試験車両は1963年8月に完成、“コスモ”と命名され、本格的なテストが開始された。

さて、コスモの名前の誕生には、試作車のデザイン採用案を担当したマツダ初の社内デザイナー、小林平治氏が関わっているという。ほぼ同時期にマツダに入社したクレイモデラーの石井 誠氏によると、小林氏は推理小説が好きで、宇宙のことを詳しく勉強して宇宙の絵をよく描いていた。「クルマは走る宇宙になるんだ」と。こうした小林氏の世界観が試作車の空飛ぶ円盤のようなデザインに表出し、それが最終的にクルマの名前につながったのではないかと語っている。



●1963年秋の全日本自動車ショーではロータリーエンジン搭載の試作車の写真をパネルで展示。開発中の新エンジンは写真の400cc×2ローターと1ローター(400cc)の2タイプを出展した

小林氏はシャープでコンパクトなクルマのデザインが好きで、松田社長はイタリアンスポーツ風の案と小林氏の案の2案のうち、コンパクトでロータリーエンジンを積んでいることが内面から現れているということで小林氏の案に決めた。

マツダによると車名の由来について『イタリア語で宇宙、英語のCosmosにあたる。スタイリング決定以来、社内ネーミング委員会で幾度となく検討の後、命名された。2年後、ソ連の宇宙衛星が打ち上げ成功後それがコスモスと命名されたことがある。社内ネーミング委員は商標権について心配したが、大きな問題にはならなかったようだ。ともあれ、宇宙時代にふさわしいエンジン車…その願いを込めた命名である。』と説明している。


●1964年秋の東京モーターショーで「コスモ」として披露された試作車は400cc×2ローターを搭載。ハウジングの内壁にできる“悪魔の爪痕”と呼ばれる波状摩耗(チャターマーク)も素材開発で乗り切った

1964、65年の東京モーターショーでは「コスモ」として出展。1966年は「コスモスポーツ(SPORTS)」、1967年の市販時につづりを“SPORT”に変更。車名にスポーツを付けたのはソ連の宇宙船(1962年打ち上げ)に配慮したのだろうか? 理由は謎だ。果てない宇宙に聞いてみよう。

〈吉川雅幸著『車名博物館PART1』(八重洲出版)より〉

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