2020/01/09 コラム

生産終了したマークXの前身、マークⅡ。なぜいきなり「Ⅱ」? 「Ⅰ」はどうした?【車名の由来Vol.004】

●5代目マークⅡ(1984年)

「マークⅡ」という言葉は、単なる順番ではない



命名の謎がいつまで経っても解明できない車名がある。2019年12月をもって生産を終了したマークXの前身、「マークⅡ」である。1968年9月にデビューした初代は、「コロナマークⅡ」との車名だった。正式に「マークⅡ」となるのは、1984年8月に登場した5代目から。


●2019年12月に生産終了となったマークX


●初代コロナマークⅡ(1968年)


●5代目マークⅡ(1984年)

まず「MARK(マーク)」の意味だが、MARKはもともと、イギリス軍が特別様式の武器、戦車、飛行機などのモデルを表すのに使用したのが起源。第二次世界大戦前後から次第にクルマに使われるようになった。

というわけで、コロナマークⅡは初代にもかかわらず、なぜ「マークⅠ」ではなく「マークⅡ」と名付けられたのかという素朴な疑問。一般的には「コロナの2世代目」といった意味で捉えられているが、じつはそうではない。

コロナマークⅡ発売当初の新聞広告を振り返ってみると、『マークⅡという名称は「よりグレードの高いもの、よりスポーティなもの」を意味する、由緒ある名前で、ジャガーやリンカーンなどの欧米軍では、大変ポピュラーなものであって珍しくなかったが、日本で「マークⅡ」を名乗るは初めてである。』と説明している。

ではなぜ「マークⅡ」にそんなポジティブな意味が込められるようになったのか。じつは、1956年に登場したジャガーはあまり売れなかったため、1959年に外観を大幅変更。すると大ヒットを飛ばしたのだった。このモデルが「Mk2」と名付けられたことで、「マークⅡ」自体に起死回生というか、あやかりたいほどのポジティブな意味が込められるようになった(後に、「Mk2」と識別するために、マニアたちが改良前モデルを「Mk1」と呼ぶようになったらしい)。




●上がMk1で、下がMk2。窓枠の大きさが識別点

ここでコロナマークⅡに話を戻そう。コロナマークⅡは本来、3代目コロナからのフルモデルチェンジで4代目コロナとなるはずだった。ところが、海外輸出を意識してボディサイズが大きくなったため、従来のコロナのユーザー層が離れてしまう恐れがあると判断。1967年5月に3代目のコロナもそのまま併売することに決まった(最近でいえば、プリウスやカローラの併売に近い)。


●3代目コロナ(1964年)


●初代コロナマークⅡ(1968年)

失敗したくないという意味も込められていたのだろうか? 新型車は、コロナマークⅡと命名されたのだった。つまり、「マークⅡ」という言葉は単なる順番を表すのではなく、それ自体にいい意味が込められているために使われた。前述の新聞広告の説明の意味もよくわかる。

悲運のクルマ「日野コンテッサマークⅡ」から頂いた可能性も?



さらに、気になるクルマが存在する。日本自動車博物館(石川県小松市)に展示されているその名も「日野コンテッサマークⅡ」だ。コストダウンを目的に各部を合理化したコンテッサ1300の改良型で、1966年に製作された試作車である。高コストで収益的にうまくいかなかったコンテッサの”起死回生”車として開発されていたが、1966年のトヨタと日野の業務提携でコンテッサの生産中止が決まり、日の目を見なかった悲運の車両である。

コンテッサマークⅡの存在をトヨタは知っていただろうし、その名称をトヨタが1968年発売のコロナマークⅡに転用したと考えるのは、いささか無理があるだろうか? 引き続き、真相解明に尽力したい。

〈文=ドライバーWeb編集部〉

ドライバーWeb編集部

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